特定失踪者関連年表

  拉致事件の経緯 特定失踪者(1000番台) 0番台
       
1953 7/27 朝鮮休戦協定調印 10月7日 徳永陽一郎さん失踪(19歳・染料店店員)長崎県長崎市
新しい仕事の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店にとりに行く前に失踪した。10月7日に門司から書留が届く。家族から借りていた1500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。
 
       
1954     荒井セツ
       
1955     樹下秋男
中野政二
       
1956     斉藤四郎
       
1958     中村健一
       
1959 8月 日本と北朝鮮の赤十字間で「在日朝鮮人帰還協定」を締結。乗船までの費用を日本政府が負担、帰国船の配給と帰国後の生活を北朝鮮政府が保障するというもの。memo
12/14 北朝鮮への第1次帰国船、新潟港出港(累計帰還者数) 
北朝鮮帰還事業 :1959年から84年にかけて、9万3340人の在日朝鮮人とその家族が北朝鮮に渡った。この中には、在日朝鮮人と結婚した日本人妻が約1800人含まれていた。日本人の夫やその子供なども含めれば日本国籍の保有者は計約6800人に上った。
 

安達恵美子(准看護士)

 

       
1960   2月27日 木村かほるさん失踪 (日赤秋田高等看護学校3年生)秋田県秋田市
失踪当時の状況 卒業試験を2日後、卒業式を10日後に控えていた。寮の部屋から午後2時過ぎに「ちょっと出かけてくる」と出て行ったまま失踪。同室の学生は「海へ行く」と聞いたような気がするが確信はない。寮の身の回りのものはかたづけられたり持ちだした形跡なし。当日は雪が降ったりやんだり曇ったりの天候だった。
藤田慎
山下(飯塚)平
巽敏一
宮澤康男
尾崎隆生
       
1961     野崎幸夫
高木茂久
正木冽子(看護師)
       
1962   4月頃 加瀬テル子さん失踪 (17歳)千葉県海上郡海上町
失踪当日、叔母と、翌日に新宿コマ劇場へ観劇の約束をし、午後パーマに行ってそのまま戻らなかった。パーマ屋では、観劇を楽しみにしていると本人が語っていたとのことで、自らの失踪とは考えられない。(2004年10月写真流出
二宮喜一
井上征子
       
1963 5/11 石川県で寺越武志さんと叔父2人が船で漁に出て行方不明になる。翌朝その漁船は無人のままで漂流しているところを発見される。(清津港に着く)   高橋太一
森洋子
       
1964     永田進
       
1965   6月9日 坂本とし子さん失踪 (22歳・家事手伝い)東京都北区
自宅から20分くらいの編み物教室へ行くといって普段と変わらなく家を出て失踪。実家は浴場業を経営しており、東十条と千葉にお店があったので2件のお店を行ったり来たりして手伝っていた。お見合いで話がまとまり秋には結婚かという状況で本人も嬉しそうにしていた。
米川茂雄
山口美好
藤田進(新潟県)
吉田信夫
       
1966     丸山善昭
小林榮(印刷)
山本正樹
       
1967    

吉田雪江
山崎博司
日高信夫(印刷)
坂本英明

       
1968 1月21日 北朝鮮武装ゲリラ隊31名、ソウル青瓦台襲撃を試み失敗(青瓦台襲撃事件)

1月18日 屋木しのぶさん失踪 (19歳・美容師)富山県下新川郡入善町
失踪当日、勤め先の美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。帽子と靴下ができ上がり、夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった姿を叔母が見送ったのが最後。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。いとこの嫁には、いなくなった次の日に富山市内に遊びに行こうと誘っていた。失踪当日は大雪だった。

2月9日 水島慎一さん失踪
 (18歳・高3)富山県新川郡朝日町宮崎海岸
高校3年の学期末試験最終日、お昼ごろに帰宅し、自宅から歩いて5分の海岸にバットの素振りをしてくると出かけたまま失踪。高校卒業後の就職も決まっていた。夕方5時を過ぎても戻らないので、父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。その日は海はベタ凪で、水島さんは遠泳の名手であり、溺れた可能性はない。

12月1日夜8〜9時頃 斎藤裕さん失踪 (18歳・高3)北海道稚内市内
友人宅を訪ねた帰りに、浜の方へ行くと言ったきり消息を絶つ。就職も決まっていた。

早坂勝男(印刷)
       
1969 12月 大韓航空機を北朝鮮工作員が平壌にハイジャク。乗員乗客51名中12名が未帰還 
この時のスチュワーデス32年振りに家族と再会(2001年)
3月2日 今井裕さん失踪 (18歳・高3)青森県弘前市内
卒業式の答辞を読むことになっていたので、制服のボタンを買いに行き行方不明に。

7月 大屋敷正行さん失踪 (16歳・高2)静岡県沼津市大瀬崎海岸
友人とバイクで海水浴へ行き宿泊。夜中にトイレに行くと外へ出たまま戻らず。貴重品は枕元に残したまま。高校生活を楽しんでいた。

白鳥英敏(大学生)
上田英司 (予備校生)
仲村克己

       
1970 3/31 よど号ハイジャック事件 8月8日 加藤久美子さん失踪 (22歳・事務員)北九州市八幡区
朝、妹と一緒に家を出て、10分くらい離れた旧西鉄路面電車の電車停留所で別れる。その後、消息不明

横田道人
七條一(大学生)
矢野和幸(高校生)
松本賢一
佐藤益一
越川力
岡内正三

       
1971 5/12 1968年から中断していた北朝鮮への帰国事業再開 12月30日 園田一・敏子さんご夫妻失踪 (53歳・43歳)鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。空港の帰り、都城市へ寄ってから国道269号線を帰ってくると言っていた。警察や地元の住民らで大捜索を行なったが、車の破片さえ発見できなかった。
村本宣夫
名取志津子
井上克美(川口)
       
1972 2月 あさま山荘事件
12月 社会主義憲法施行。これにより金日成は国家主席となり、国家の全権を掌握
11月1日 生島孝子さん失踪 (31歳・区役所支所勤務)東京都渋谷区
当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。当日朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが詳しいことは言わなかった。夕方戻ると出かけた後だった。
馬場重夫
木村秋男
平山政子
川満敏弘
鈴木賢(川口)
中島修一
佐々木薫
       
1973 金正日が朝鮮労働党の対南工作担当部署の三号庁舎を自分の指導下に置こうとして、大検閲事業を始めた。それ以前になされた対南工作活動を全部点検し、工作活動、工作員教育の中身はゼロであり、これからは私が直接それを掌握してやるんだと発言した。
6月 辛光洙(シンガンス)石川県穴水町より、日本に潜入

8月8日 東京でKCIAによる金大中氏拉致事件
7月7日 古川了子さん失踪 (18歳)千葉県市原市
7日当日、母親は家から徒歩20分ほどのところで自分の経営していた花店に朝から仕事にでかけて、了子と午後京成千葉駅(現在の千葉中央駅)で2:30〜3:00ころ会うつもりで居た。しかし了子から昼前に美容院に電話があり「今日の予約は用事が出来たので行かれなくなった。それから自分の母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えてください」と言った。当該の美容師は家にも何回か遊びに来た親しい人で、了子の母親にはすぐその旨を伝えてくれた。 そして「いつもと変わらない明るい声でした」と証言している。電話の後ろが騒がしかったので「今どこ?」と聞いたところ「千葉駅」と答えたという。
伝言を聞いた母親は、友達にでも会う事になったのだろうとあまり気にもしなかったが、それから一切なんの音沙汰もなくなった。

7月 遠山文子さん失踪 (21歳)東京都に在住のあと旅行にでかけて

12月 高敬美・剛 (6歳・3歳)
失跡した父を、母渡辺秀子、弟と共に捜し歩いていた。
母親の渡辺秀子さんと一緒にいて、渡辺さんが殺害され姉弟が拉致されたと同会はみている。渡辺さんを被害者とする殺人容疑の告訴状が警視庁に出され、夫が北朝鮮の工作員だった可能性も指摘されているが、夫だけでなく、北朝鮮とかかわりのある周辺人物の行方も分かっていない。
益田ひろみ
山口浩一
江藤健一(印刷)
塚腰義正
       
1974 8/15 北朝鮮に抱き込まれた在日韓国人・文世光による朴正煕大統領狙撃事件(夫人が射殺される)。拳銃は大阪の交番で盗まれたもので、文は北朝鮮工作員の指示を受けていたとされ、この工作員が万景峰号を通じ日本国内での銃の調達などの指令を出していたという。 2月24日 大澤孝司さん失踪 (27歳)新潟県佐渡島新穂村
自宅近所の飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

6月14日 清崎公正さん失踪(41歳・建設会社経営)兵庫県尼崎市
失踪当日午前9時頃、通常と同じように弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを妻が見送ったのが最後。銀行では支払いのため50万円下ろしている。そのお金は自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もついたままでった。失踪後なくなったものはない。

酒井秀俊(立命館)
三浦和彦
波多野幸子
島脇文内
荒谷敏生
山下春夫
堀江一利 (大学生)

       
1975     藤原英二
竹内久美子(13歳)
明石靖彦(14歳)
山田妙子
       
1976 福留貴美子さん失踪(よど号ハイジャック犯の妻とするために北朝鮮によって拉致されたとみられる。岡本武の妻とされた。よど号犯グループは昭和63年(1988)頃岡本とともに作業場で事故死したと公表しているが、確認はされていない。第2回国民大集会にも参加されていた母、福留信子さんは2002年1月12日、娘の生存を信じながらお亡くなりになった。 2月7日 藤田進さん失踪 (19歳・大学1年)埼玉県川口市
失踪当日午後6:30〜7:00頃、以前から働いていたガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。(2004年8月写真流出

8月2日 国広富子さん失踪 (24歳・看護婦)山口県宇部市
母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、300円のみを持って家を出てそれきり消息不明。

高野清文(大学生)
坂上良則

       
1977 2月 後に有本恵子さん拉致に加担する八尾恵(よど号犯柴田泰弘の妻)が北朝鮮に入国
5月初めまでによど号メンバー全員結婚、この結婚の仲人役は金正日である。

9/19 久米裕さん石川県内で拉致される(久米裕失踪事件=「宇出津事件」)
11/15 横田めぐみさん新潟県内で拉致される。(父親が日銀の行員であり、営利誘拐の可能性から、新潟県警始まって以来のヘリコプターを使う大捜査になったが、全く手掛かりは無かった

3月 布施範行さん失踪 (24歳)
東京に在学中の妹にスーツケースが送られてきて、預金通帳、印鑑などが入っていた。その後、妹に「沖縄の友人宅に行く」と書かれた手紙が送られてきたのを最後に全く連絡が取れなくなった。

5月21日 新木章さん失踪
 (29歳・銀行員)埼玉県川口市
外出して以来行方不明

9月22日 前上昌輝さん失踪 (19歳)北海道旭川市
北海道の富良野で過ごした後、旭川駅の荷物一時預かりザックを預けその後消息を絶つ。11月初旬に不審な電話があったが、以来手がかりは全くない。

10月21日 松本京子さん失踪 (29歳)鳥取県米子市
自宅近くの編み物教室に行くと家を出て消息不明。普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で本人と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま、2人の男と松本さんは姿を消した。

和智博
玉井敏明
吉田賢
鈴木正昭
安村(尹)文夫
後藤久二
古都瑞子

金武川栄輝
牧志孝司
田島清光
儀間隆

       
1978

6月 田口八重子さん東京都内で拉致される
6月 神戸市のラーメン屋店員、田中実さんが成田から出国(店主に誘われウィーンへ向かう)
7/7 地村保志さん、浜本富貴恵さん福井県内で拉致される
7/31 蓮池薫さん、奥土祐木子さん新潟県内で拉致される
8/12 市川修一さん、増元るみ子さん鹿児島県内で拉致される
8/12 曽我ひとみさんと母のミヨシさん新潟県内で拉致される
8/15 富山県内でアベック拉致未遂事件

8月 北朝鮮によるレバノン女性4人拉致事件

 

至極透
加藤(石川)八重子
鵜沢幹雄

       
1979 9/4 ▲市川修一さん死亡?(北朝鮮による発表・元山海水浴場で溺死?)

この年から「よど号」グループがヨーロッパで本格的に展開しはじめる。
金田竜光さん失踪 (26歳)神戸市灘区
兵庫県神戸市に住んでいた昭和52年ごろ、田中実さん拉致の実行犯・韓竜大の経営するラーメン店「来大」に就職。昭和54年、ウィーンに行った田中実さんの手紙を受け取って渡航準備をするため東京に行ったまま失踪。

12月18日 山田建治さん失踪 (30歳)高岡市の勤務先への通勤途上
車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
星野正弘
尾方晃(立命館)
川合健二
和田吉正
甲斐一志
松本義明
       
1980

1/7 産経新聞が一面トップ記事でアベック3組の蒸発事件を伝える。外国人の関与をほのめかす報道内容。「アベック三組ナゾの蒸発昭和53年夏福井、新潟、鹿児島、富山の未遂、外国を発信源とするスパイ連絡用の怪電波が急激に増えたという事実が警察によって確認されている。」
記事全文

5月 スペイン松木薫さん、石岡亨さんが拉致される
6月 原敕晁さん、辛光洙によって宮崎県内で拉致される()  【原敕晁さん拉致の全容

  中島裕夫
阿比留健次
小久保稔史
       
1981 8/17 ▲増元るみ子さん死亡?(北朝鮮による発表・心臓麻痺により黄海北道にて死亡?) 12月4日 辻與一さん失踪 (32歳・高校教諭)三重県桑名市
失踪当日昼前、下宿から失踪。失踪数日前から、下宿に不審な男性が見張っていて、一度は下宿の敷地内に入ろうとしたため、下宿の大家が制したこともあった。
下宿の部屋に朝鮮関係の本がたくさんあり、また残されたノートにはそれらの本の感想や、北朝鮮に関連すると思われるサークル活動に参加した記録などが、日記のように記されていた。週明けに期末試験が控えており、通常の勤務状況、当時の部屋の様子からして、自らの意思による失踪とは考えられない。

長尾直子
西村三男
安達俊之
上田俊二
村田秀樹
辻與一

       
1982   3月22日 河嶋功一さん失踪 (24歳)
当日は父親たちが下宿へ荷物を取りに行き、本人は汽車で浜松に帰るため、午前9時半ごろに下宿を出て、50〜60メートル先の角を曲がるところまで見送った。その後、行方不明。当時小雨で、傘1本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。
鈴木清江
永山正文
藤山恭郎
       
1983 7月 有本恵子さんヨーロッパにて拉致される   原哲也
松本重行
三上慎一郎(高校3年)
山内 和弘(高校3年)
       
1984  

6月4日 山本美保さん失踪 (20歳)山梨県甲府市
図書館に行くと言って出かける。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。失踪の3年4カ月後から無言電話が4年半ほど続く。

井尻恵子
種田誠
広田公一
伊原照治
       
1985   12月4日 秋田美輪さん失踪 (21歳・大学4年)兵庫県神戸市
12月4日、大学で午前の授業を受け、1時過ぎに学食で友人と食事をとった後、校門近くで友人と別れた。夜8時過ぎに友人宅へ泊まると家に電話あり。翌朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜でバッグが見つかったとの電話。
香月正則
下地才喜
今津淳子
伊藤克
木本佳紀(大学生)
林かな子
       
1986 7/19 ▲原敕晁さん死亡?(北朝鮮による発表・黄海北道で肝硬変で死亡?)
7/30 ▲田口八重子さん死亡?(北朝鮮による発表・黄海北道のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡?)
   
       
1987 1月 寺越武志さんの叔父の外雄さんから「北朝鮮にいる」という手紙が届く
9月 北朝鮮で武志さんと母の友枝さんが再会


11/29 大韓航空機爆破事件。ソウル五輪妨害を目的に、日本旅券を利用した北朝鮮工作員の犯行
  西安義行
尾上民公乃
岡元幸弘
東修治
佐々木正和
       
1988 1/15 大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚が『李恩恵』(=田口八重子さん)の存在を証言

9月頃、石岡亨さんの手紙がポーランドから札幌の実家に届く。松木薫さん、有本恵子さんと共に北朝鮮にいる旨が書かれていた
11/4 ▲有本恵子さん、石岡亨さん死亡?(北朝鮮による発表・夜、招待所で寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子どもを含む家族全員死亡?)
7月17日 林田幸男さん失踪 (53歳)宮崎県沖海上
林田さん所有の遊漁船「共擁丸」1トンで、友人と二人で午前4時頃、宮崎市の大淀川河口の通称「タンポリ」を出港、その後二人とも消息を絶つ。海上保安庁や自衛隊など海と空から四国沖まで広い範囲で捜索を続けたが、ライフジャケットが見つかっただけで船の残骸など一切見つからなかった。またパーソナル無線を持っていたが、何の連絡もなかった。当時はべた凪だった。

江原信明
矢倉富康
和田幸二
石坂孝
崎山実
日高満男

       
1989     加藤悦子
矢島克己
山下貢
       
1990     河田君江
本多政幸
清水桂子
       
1991 1/30〜31 第1回日朝国交正常化交渉(平壌)開催。以降、92年11月の第8回まで国交正常化交渉が続くが、第8回で日本側が『李恩恵』問題を提起すると北朝鮮側は退席。交渉が中断する。 4月22日 佐々木悦子さん失踪 (27歳・銀行パート)埼玉県浦和,「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。 大政由美
小野寺将人
森本規容子(18歳・大阪)
福山ちあき (18歳・大阪)
橘邦彦
保泉泰子
       
1992     松橋恵美子
笹垣範男
       
1993
H5
3/13 ▲横田めぐみさん死亡?(北朝鮮による発表・平壌市の予防院でうつ病で死亡?)

5/29 北朝鮮が日本海に向け「ノドン1号」の発射実験(能登半島沖に着水)
  坂本清志(高校1年)
田中正道
       
1994
H6
7/7 金日成、死去   仲桝忠吉
長谷山洋(川口)
       
1995
H7
10月 日本から50万トンの米を北朝鮮に送る  

加藤義美
植村留美
海老原勇
塩沢勝己
曽ヶ端崇史
松永正樹
岩本美代子

       
1996
H8
8/23 ▲松木薫さん死亡?(北朝鮮による発表・両江道の革命史跡の参観に行く途中、峠道を自動車乗車中、運転手の不注意による事故で2人とも死亡?)

10/7 金正日が朝鮮労働党の総書記長に就任
11/14 北朝鮮側が与党訪朝団との会談で「行方不明者の調査を行う」と表明。森団長が「第3国で発見」発言
  安西正博
田辺真理子
       
1997
H9
横田めぐみさんの実名が初めて報道される 全文

この年、救う会、家族会、拉致議連結成される。
 

宮内和也
佐藤剛生
加藤小百合
渡辺栄一

       
1998 4/17 家族会、小渕外相に署名30万筆提出(累計100万筆突破)   中村三奈子
林雅俊
渋谷浩邦
松井綾子
       
1999     楠本勤
       
2000 3月 北朝鮮へのコメ10万トン支援が決定(40万トンが追加され最終的には50万トン)。「家族会」「救う会」が外務省、自民党本部に対して座り込み抗議を行う。memo
4/4〜7 日朝国交正常化交渉が再開(第9回・平壌)
5月 金正男の不法入国事件が起こる。北京へ送還
  佐藤順子
坂川千明
       
2001 10/6 日本政府、北朝鮮にコメ50万トン支援を実施
12/22 奄美大島沖の東シナ海で不審船が海上保安庁の巡視船に発砲。銃撃戦後に沈没
  澤辺和也
松村哲史
賀上大助
       
2002 9/17 小泉純一郎総理が平壌を訪問し、金正日と会談。日朝平壌宣言
10/15 蓮池薫さん、奥土祐木子さん、地村保志さん、浜本富貴江さん、曽我ひとみさん帰国
10/17 増元るみ子さんの父正一さんが死去
 

稲田裕次郎
宮本直樹
永島康浩

       
2003    

沖田徳喜
水島弥寿志

       
       
       


 

年表:修正すべき点、追加すべき事項などお教え下さい。
     
日付
     
内容

 

   



電脳補完録
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