電脳補完録・資料

 

 
「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」
 

 ◆点を線に結んだ「一報」

 裏日本の海岸部、福井、新潟、鹿児島の各地でナゾの連続アベック蒸発事件があり、男女六人が失跡していることが警察庁の調べで判明した。事件は、富山でのアベック誘かい未遂事件を端緒にあきらかになったもので、発生は五十三年夏の四十日間に限られており、同庁は六日、この連続蒸発および誘かい未遂事件が同一犯人によるものと断定した。犯行はきわめて計画的で広域にわたるが、富山の現場に残された犯人グループの遺留品が、国内では入手不可能なことや、失跡当時、現場に近い沿岸でスパイ連絡用とみられる怪電波の交信が集中して傍受されていることなどから、外国情報機関が関与している疑いも強く出ている。

 アベック誘かい未遂事件は五十三年八月十五日、富山県高岡市島尾海岸で発生した。犯人は男の四人組。アベックはサルグツワをかまされたうえ、手に手錠、足をヒモでしばられ、さらに頭から布袋をかぶせられて近くの松林にかつぎこまれた。犯人は「静かにしなさい」といったきり、あとは無言。しかし、近所の人が近づくのに気づいたのか、間もなく逃走、アベックは難をまぬがれた。

 富山県警の捜査でこの事件の特異性がしだいにあきらかになった。手錠、サルグツワ、布袋、ヒモなど遺留品のほとんどが、日本では入手不能の外国の製品。犯人のかっこうも、ステテコに白い上着、ズックぐつと、異様だった。だが事件はナゾのまま特異な誘かい未遂事件として警察庁に報告された。

 同庁は全国の県警に類似事件の報告を求め、検討を行った結果、この未遂事件発生の約一カ月前から集中的に三件の失跡事件が発生していることをつきとめた。

 最初の事件は同年七月七日、福井県小浜市青井海岸で、第二の事件は同月三十一日、新潟県柏崎市中央海岸で、そして第三の事件は未遂事件の三日前にあたる八月十二日、鹿児島県日置郡吹上浜海岸で発生していた。

 いずれもデートに出かけた海岸から、午後七時−九時の間にこつ然と姿を消した。六人の職業はまちまちだが、年齢は二十歳代。三組とも家族に交際を認められ、結婚式の日取りも決まっていたケースもある。また、運転免許証や預金通帳も自宅に残しており、各県警の捜査の結果でも、家出や心中の可能性は、まったく浮かんでいない。

 さらに、水死などの事故の可能性についても、大規模な捜索を行ったが、結局、遺体は見つからなかった。

 警察庁では、昨年末、関係四県警と会議を持ち三件の失跡と富山の未遂事件を総合的に分析、検討した結果、(1)失跡の三件には自殺、家出、事故死の可能性がない(2)いずれも海岸から行方を絶っている(3)五十三年夏に集中し、失跡の状況が酷似している(4)被害者は四件とも若いカップルばかり(5)海岸からのナゾの失跡は、一昨夏以前も以後も起きていない−などから、未遂事件を含めた四件は同一犯人グループによる犯行と断定、刑事局が指揮をとって追及に乗り出している。

 現在、犯人グループがなぜ、若いアベックを連れ去る必要があったのかという犯行の動機、目的に焦点がしぼられているが、アベックをまっ殺して、その戸籍を入手、何らかの“工作”に利用しようとしたのではないか、と推定している。また、犯人グループの割り出しと同時に、背後の組織解明が進められている。

 四件の現場は、いずれも、これまでに外国情報機関のスパイが上陸したことのある海岸に近く、事件前後に、不審な外国船が現場近くに停泊していたという有力情報もある。さらに五十三年夏は、外国を発信源とするスパイ連絡用の怪電波が急激に増えたという事実が警察庁当局によって確認されている。

 富山の現場から外国製の遺留品が数多く発見されたことや犯行の手口とあわせ、関係者の間では外国情報機関がかかわっていたのではないかという見方を強めている。

【産経新聞 昭和55年1月7日付朝刊1面】



拉致事件の初めての報道である。
記事を書いたのは、社会部(当時)の阿部雅美記者(現・サンケイスポーツ編集局長)。阿部記者はその十七年後の平成九年二月三日付朝刊で、今度は、新潟県で昭和五十二年に行方不明となった横田めぐみさん=当時(一三)=が北朝鮮に拉致された可能性が強いことを実名で報道。この二つのスクープで阿部記者は九年度の新聞協会賞を受賞した