在北朝鮮に住む寺越武志さんやおじの寺越昭二さんらが日本海に漁に出て行方不明になったいわゆる「寺越事件」から12日で45年です。残された家族はそれぞれ思いを胸にの日を迎えました。北朝鮮に住む寺越武志さんの母、寺越友枝さん(77)。友枝さんの息子武志さんは13歳だった1963年5月12日、おじ2人と日本海に漁に出たまま行方不明になり、24年後の1987年、北朝鮮での生存が判明しました。以来、友枝さんは先月までに46回、北朝鮮の武志さんを訪ねています。武志さんは2002年に一時帰国を果たしましたが、その後も日朝関係に大きな進展はなく、今は武志さんに会いに行くことだけが望みだと話します。寺越さんは来月47回目の訪朝を予定しています。
確かに今、友枝さんは「拉致」をは主張しませんが、はじめからそうだったわけではありません。1回目、2回目の訪朝の後も「武志は拉致された」と言っています。この時点では武志さんを含めた北朝鮮の主張(人道的救助)を受け入れてはいません。北朝鮮で会った武志さんも「救助された」と言っていますが、友枝さんはそれを信じていませんし、それだけで口をつぐんでしまったわけではありません。1997年に結成された家族会にも参加します。この時、「会を抜けなさい」と圧力をかけたのが自民党の森前総理だと言われています。森氏はこの97年11月に自社さ三党訪朝団の団長として訪朝します。拉致だと騒がれては困るということです。武志さんも平壌で日本のマスコミインタビューに答えて「自分は拉致ではない」と明言します。友枝さんは、2002年の12月にも外務省に武志さんの拉致認定を求めています。この時も森前総理から「拉致と言うな。帰れなくなる」と言われたと友枝さんは語り、この要望を取り下げています。
武志さんと一緒に拉致され殺害された寺越昭二さんの息子さん達は、拉致認定を求めています。しかし、政府は『寺越武志さん、またはそのご家族・寺越友枝さんが「息子が拉致された」と言わない限りは拉致とは認められません』という。これもおかしな話しです。それでは、ご家族のいない田中実さんの拉致認定はどうしてなされたのでしょうか。
| 1963 | 5月11日 | 寺越昭二さん、外雄さん、武志さんの3人で、漁船清丸で石川県志賀町高浜美奈とからハチメ漁に出港 |
5月12日 | 破損した無人の清丸見つかる |
5月23日 | 葬儀 |
| 1965 | 5月25日 | 志賀町役場では3人とも死亡とみなし、戸籍を抹消 |
| 1968 | 3月30日 | 寺越武志さん清津で死亡(あくまで北朝鮮側の発表。この日は昭二さんの誕生日でお祝いをしたと外雄さん、武志さんが語っているが、昭二さんの誕生日は3月31日) |
| 1987 | 1月22日 | 外雄さんの実姉、栗原豊子さん宛てに外雄さんから手紙が届く |
| 3月15日 | 社会党の嶋崎譲代議士に面会 |
3月17日 | 東京新聞・中日新聞にスクープとして掲載(相談した地元市会議員から東京の新聞社勤務の息子に情報が流れた) |
8月31日 | 武志さんの両親(太左ヱ門さん、友枝さん)が、社会党衆議院議員嶋崎譲氏の斡旋で北京経由、平壌に到着 |
9月3日 | 外雄さん、武志さんと再会 |
| 1990 | 8月8日 | 嶋崎譲事務所の訪朝団に友枝さんと娘さんが参加という形で二回目の訪朝、再会。嶋崎譲代議士と北国新聞の記者同行 |
9月24日 | 自民党金丸信、社会党田辺誠を団長とする訪朝団が訪朝 |
10月11日 | 北朝鮮に抑留されていた紅粉船長が帰国(小沢一郎・土井たか子訪朝団) |
| 1993 | 10月 | 在日朝鮮人A氏の斡旋で3回目の訪朝・再会 |
| 1994 | 9月5日 | 寺越外雄さん、亀城で死去(肺ガンとされている) |
| 1995 | 5月 | 「スポーツの祭典」観光団の一員として4度目の訪朝・再会 |
| 1997 | 3月25日 | 家族会結成。友枝さんは自民党森議員の「(武志さんの事件は)政府で認めた拉致。会を抜けなさい」という言葉に従って家族会を抜ける。 |
4月15日 | 「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(中山正輝会長)設立。旗揚げには横田ご夫妻と共に、寺越友枝さんも参加 |
6月27日 | 石川県議会で「一時帰国実現に関する意見書」を全会一致で可決。第九管区海上保安本部が武志さんの死亡認定取り消し通知。「寺越さんをささえる会」発足 |
7月1日 | 金沢市を本籍に戸籍回復 |
| 7月25日 | 森喜郎(当時自民党総務会長)と自民党本部で面会 |
9月5日 | 武志さん、平壌で日本のマスコミのテレビインタビューを受け、「自分は拉致されたのではない。遭難し、北朝鮮の漁船に助けられた」と話す。友枝さんは家族会から離れる。 |
10月16日 | 友枝さん、13万3000人分の署名を小渕恵三外相に手渡し一時帰国実現を訴え |
11月11日 | 自民、社民、新党さきがけ三党の与党訪朝団(責任団長・森自民党総務会長)が訪朝。森氏と武志さんが面会。武志さんは「共和国は私を日本人にもかかわらず、差別1つすることなく国民の1人として、8000人の労働者を代表する政治家に育ててくれた。日本との関係が良くなれば、国の代表団の一員として堂々と訪日したい」と語った。森氏が拉致被害者の「第三国発見方式」を提案した。 |
| 11月13日 | 訪朝団に対し「(寺越武志)本人が希望するのなら善処したい」と朝鮮労働党書記・金容淳が発言 |
12月 | 武志さんから国際電話があり、「新年から平壌に住むことになった」と知らせてきた。肩書は朝鮮職業総同盟平壌市委員会の副委員長 |
| 1998 | 3月28日 | 自民党代表団(団長・中山正暉)に同行して友枝さんが訪朝 |
| 1998 | 8月 | 安明進氏が、他の工作員から聞いた話として、「工作船を日本の漁船に見られたため、子どもをかばって抵抗した年長の男を射殺し、乗っていた日本人を連れてきた」と証言 |
10月16日 | 「寺越友枝さんを支援する会」発足 |
| 2000 | 4月 | 友枝さんが訪朝した際、北朝鮮の通訳の男性から「(寺越さんを日本に帰国させたいなら)5億円出すよう、自民党の大物に言いなさい」と言われたことを明らかにした。同年6月ごろ、講演のために石川県の加賀温泉を訪れた自民党の幹部に、この話を伝えた。友枝さんは「『北朝鮮で言われたけど、そんなことできるのか』と尋ねたが、(自民党議員は)できるともできないとも言わなかった」と話している。(日刊スポーツ) |
| 2001 | 7月 | 武志さんの父、太左ヱ門さん北朝鮮永住へ |
| 2002 | 5月22日 | 友枝さん、14回目の訪朝を終え外務省に一時帰国支援要請 |
8月19日 | 日朝赤十字会談で日本側代表団に「故郷を訪問する計画を立てている」と明かす |
9月4日 | 森前総理が事務所で友枝さんと面談。武志さんの一時帰国が今月末にも実現との見通しを伝える。 |
9月17日 | 小泉首相訪朝 |
9月21日 | 金沢市内で森前総理が友枝さんと面談。武志さん、国際電話で友枝さんに一時帰国を伝える |
10月2日 | 北京で、森前総理と武志さんが面会。寺越さんは「故郷を訪問できることを大変うれしく思っている。歴史的な日朝首脳会談の直後に訪問でき、縁がある」と心境を語り、「両国の橋渡しの役割を果たしていきたい。友好が進むよう努力していきたい」と強調した。森氏は「日本では拉致被害者の家族への同情で大きな関心になっている。過剰な取材があると思うが、できるだけ冷静な対応をしてほしい」と要請した。 |
10月3日 | 日本の自治労中国地区連絡協議会などが招待した北朝鮮職業総同盟訪日代表団の一員として39年5カ月ぶり帰国。10日間滞在。この一時帰国を取り仕切ったのは、森喜郎事務所。 |
10月11日 | 昭二さんの長男昭男さんら兄弟が「拉致の疑いが強い」として外務省に真相解明を要請 |
10月12日 | 武志さん離日 |
10月13日 | 寺越昭二さんの息子さん等が家族会に参加。真相解明と遺骨返還を訴える。 |
10月15日 | 拉致被害者5人が帰国 |
11月21日 | 友枝さんが16回目の訪朝。武志さんから北朝鮮に拉致されたことを示唆する表現があったとされている。 |
12月18日 | 北朝鮮による拉致事件として認定するよう友枝さんが政府に申請(後、取り下げ) |
12月23日 | 友枝さんが森前総理から「武志さんは、国も政府も拉致と認めているから、お母さんの口から拉致と言うな。帰れなくなるから」と言われたと暴露(テレビ朝日) |
| 2003 | 1月4日 | 友枝さん訪朝 |
3月9日 | 救う会石川結成 |
9月7日 | 武志さんが日本のマスコミを北朝鮮で死亡したと される叔父の寺越昭二さん、外雄さん兄弟の墓に案内する。暮石は新しかった。 |
11月27日 | 寺越昭二さん(当時36歳)の長男昭男さんは、昭二さんを拉致し殺害したとして、北朝鮮の呉求鎬(オ・グホ)元工作員を殺人と国外移送目的略取の疑いで、27日、石川県警に告訴 |
12月 | 地村保志さん夫妻が平壌に残してきた長女(22 )と、寺越武志さんの長男(29)との縁談が浮上 |
12月19日 | 寺越昭二さんの遺骨の返還を政府が昨年12月19日、北京の日本大使館を通じて北朝鮮に要求 |
| 2004 | 1月19日 | 友枝さんが外務省を訪れ、昭二さん、外雄さんの遺骨返還交渉を武志さんを通じて行うよう要請 |
1月21日 | 昭男さんは21日、石川県庁で記者会見し、昭二さんの遺骨の返還を日本赤十字社を通じて北朝鮮に求めていくことを明らかにした。 |
1月23日 | 「昭二さんは北朝鮮の工作員に射殺された」との告訴を石川県警が受理 |
| 2005 | 5月20日 | 友枝さんが外務省や内閣官房拉致問題連絡・調整室などを訪問し、武志さんを拉致被害者に認定しないよう申し入れた。森前総理とも面会し二度目の一時帰国について話した。 |
5月26日 | 「寺越事件」について、アメリカの下院議員が「北朝鮮の拉致だ」と明記した決議案を議会に提出。決議案を提出したのは、アメリカ下院議員で国際問題委員会のヘンリー・ハイド委員長ら。その決議案では、1963年に日本海で起きた寺越事件について、「北朝鮮の工作員は当時13歳の寺越武志さんや、寺越昭二さんら3人を漁船から拉致した」と明記。 |