【ソウル19日=黒田勝弘】韓国の東亜日報は十九日、一九七三年に東京で起きた金大中拉致(らち)事件に関する当時の韓国中央情報部(KCIA)の内部文書を入手したとし、事件がKCIAの組織的犯行だったと伝えた。文書には当時、事件にかかわった在日韓国大使館の金基完(仮名・金在権)公使をはじめ工作担当者らKCIA要員四十六人の名前が役割別に記され、金大中氏を大阪港から船に乗せて韓国まで連れて行った経緯などが書かれている。また当時の李哲煕KCIA次長補は同紙とのインタビューで「事件は李厚洛部長の指示を受け実行した」と認めた。
東亜日報によるとこの文書は「KT工作要員実態調査報告書」と題され、マル秘と記されている。事件に関連した人物の役割を中心にした報告というかたちをとり、大統領に「報告済み」との書き込みもある。文書の出所や性格は不明だが、事件が韓国の政府機関であるKCIA要員による組織的犯行だったことをあらためて裏付ける内容になっている。
文書には事件の経緯に関する新しい事実はほとんどなく、人名が多く登場するのが目立つ。たとえば一九七三年八月八日昼、東京・九段のグランドパレスで宿泊中の金大中氏を拉致した際の現場には、責任者の尹鎮遠・海外工作団長や在日韓国大使館員ら六人が関係したという。
その名簿の中には日本側の捜査で確認されている韓国大使館の金東雲一等書記官の本名「金炳賛」の名前も含まれている。
東京からは高速道路で大阪に行き、大阪の「安家(アジトの意味)」に立ち寄って後、翌九日朝、大阪港から貨物船「竜金号」(五三六トン)で出港した。この船は貨物船を偽装したKCIAの工作船で、事件後に船名を変え二年後には解体されたという。
金大中氏は当時、韓国に向かう途中で海に投げ込まれ殺害されそうになったと語っているが、この事実関係は明らかでない。「竜金号」には乗組員二十一人とKCIA要員二人が乗っていたという。
釜山港には十一日深夜に到着し十二日朝、上陸した。KCIAからは金秀珍・日本課長や医務室長ら五人が出迎え、救急車でソウルに直行した。ソウルでは河泰俊・海外工作局長が面接した後、KCIAのアジトに移り翌十三日夜、要員三人で金氏を車に乗せ自宅付近の路上で解放したとなっている。
金大中拉致事件についてはKCIAの犯行だったことが定説になっているが、当時、金大中氏は若手野党政治家として反政府活動を展開していたため、KCIAはこれを阻止しようと拉致事件を起こした