北朝鮮拉致事件関連年表・資料

 

1997年与党訪朝団 コメ支援密約
 

首相と野中氏、北朝鮮への米支援「約束」問題で食い違い
2000.10.31(12:49)asahi.com

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を3年前に訪れた与党代表団が、コメ50万トンの支援を約束していたとされる問題で、そのメンバーだった自民党の野中広務幹事長は31日午前の記者会見で「50万トンとか100万トンとか、行くたびに要請があったことは事実だ」と述べ、北朝鮮側から要請があったことを認めた。そのうえで「公式、非公式を通じて(支援を約束したという)密約はなかった」と言明した。ただ、当時の総団長だった森喜朗首相は同日、要請自体も否定し、食い違いを見せた。
 野中氏は30日の記者会見では「公式、非公式を通じて話し合いはまったくなかった」としていたが、発言を修正した。また、「拉致問題などがあり、環境が成熟していないので(コメ支援は)困難だ、というやりとりがあったことは事実だ」と説明。自分が官房長官時代の昨年7月に「コメの約束は確かにした」と新社会党幹部に語ったとする一部報道については、事実関係を否定した。
 一方、森首相は記者団に「少なくとも、私が出た会議では、いっぺんも、そんな話は出ていない」と否定した。首相官邸で「非公式の場で北朝鮮側から提案があったそうだが」との質問に答えた。
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コメ50万トン支援は97年森訪朝団が約束と北朝鮮高官
2000.10.31(12:42)asahi.com

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を3年前に訪れた与党訪朝団(森喜朗総団長)がコメ50万トン支援を約束していた、と複数の北朝鮮高官が主張していたことがわかった。政府は「いろいろなやりとりはあったが、約束した事実はない」と反論している。しかし、政府が50万トンというコメ支援を今月決めたのも、森首相の主導だったと見られ、世界食糧計画(WFP)の要請量の2倍半という大規模支援を決めた不透明な経緯が改めて問われそうだ。
 昨年7月に沖縄社会大衆党と合同で訪朝した新社会党の矢田部理委員長が30日、金容淳・アジア太平洋平和委員長らと会談した際、そう聞かされた、と語った。
 矢田部氏によると、村山富市元首相を代表とする訪朝団が延期になった直後だったため、矢田部氏は「北朝鮮側がコメ支援を前提条件としたのに、日本が拒んだからか」と尋ねた。しかし、北朝鮮側は「日本から次々と政治家が来て約束するが、履行しない。1997年に森氏らが訪朝して50万トンのコメ支援を約束したが、それも履行しないままだ」と反問されたという。
 矢田部氏が文書は残っているか尋ねると、「(日本側が)『文書にすると、いろいろうるさい人たちがいる』と言うので文書にしなかった」と説明した。こうした話は、宋浩京・朝日友好親善協会会長らからも聞いたという。
 帰国後、矢田部氏が野中広務官房長官(当時)に「北朝鮮側が『森さんがコメ支援を約束した』と言っている」と報告したところ、「それは事実だが、北朝鮮側も守っていない約束がある」と語った、という。
 外務省筋によると、今年初めから北朝鮮側は非公式折衝で50万トンのコメ支援を求めていた。政府は今年3月、日朝交渉を7年半ぶりに再開するため、10万トン支援を決めた。ところが、4月に再開した日朝国交正常化交渉の席でも、北朝鮮側は「与党訪朝団が約束したコメ50万トンはいつ送ってくれるのか」と述べ、残りの40万トン支援を要求。しかし、日本側は「政府としては承知していない」と応じなかったため、5月の交渉は延期になった。
 その後、政府はコメ問題を正常化交渉から切り離すため、40万トン規模で今年中に追加支援する方針を固めた。しかし、WFPの要請量が19万5000トンと予想を大幅に下回ったため、外務省も一時は大規模支援を先送りする方向に傾いた。ところが、首相側から「交渉を進めるため、50万トン支援をしてほしい」と強い要請があり、外務省も50万トン支援を決めたという。
 河野洋平外相は大規模支援は、日朝の関係改善を進めるための「政治判断」だと強調してきた。しかし、3年前の「約束」の履行にすぎなければ、このコメ支援で北朝鮮側の交渉姿勢が軟化する可能性は低く、「政治判断」の是非が問われる。