資料

山本美保さんに関する中間報告
 

山本美保さんについての中間報告

 昨日のニュースでお知らせした山本美保さんに関する中間報告を以下に発表します。この真相究明は極めて重要な問題です。今後とも各位のご協力をよろしくお願いします。


                   平成16年5月20日


山本美保さんに関する中間報告
         特定失踪者問題調査会


 去る3月4日、山本美保さんのご家族に対し山梨県警から「DNA鑑定一致」との連絡があり、翌日正式に名古屋大学の鑑定書が家族に提示された。それによれば昭和59年6月21日、山形県遊佐町の海岸に漂着した身元不明遺体(以下Yと略称)の骨髄と双子の妹である森本美砂さんのDNAが一致したとのことであった。

 このことはご家族、支援者に強いショックを与えたが、その後の調査によって多数の疑問点が浮かび上った。ご家族は4月7日に山梨県警において山形県警から送られたYに関する調書のコピーを閲覧し、調査会では4月28日、警察庁において五十嵐邦雄外事課長から説明を受けたが、かえって疑問は強まるばかりであった。

 私たちは以下のとおり、これまで関係各方面で調査したことをもとに中間報告として現時点で存在する疑問点のうち主なものを発表するものである。結論から言えば現時点での情報で美保さんとYを結びつけるものは警察発表の「DNA一致」しかなく、他の情報はほとんどが両者が別人であることを示しており、さらにそのDNAの一致についても鑑定及び発表の経緯が不自然である。今後も調査会ではご家族及び地元の支援者と協力して調査を行うが、一刻も早く事件の真相が明らかになるように関係各位のご協力を切に希望する次第である。

1、体格・遺留品について
 美保さんの高3(17才)時の身体計測では身長159.5cm 体重53.2kg 胸囲81.0cm 座高:87.4cmだった。Yの「頭頂部から臀部下端」(座高に該当)は95cmである。また、YのGパン、下着のサイズは相当にやせ形の体形のものであり、美保さんの体形とは相当に異なる。また下着、Gパン、ネックレスについて、洗濯していたお母さんも美砂さんも遺留品に見覚えがない。つまり遺留品は本人のものでない可能性が極めて高いということである。
 なお、平成15年11月7日、山梨県警の担当者が美砂さんに、16年1月27日お母さんに(美砂さん同席)に遺留品の写真を見せている。県警はこのときご家族は「この写真だけでは判別できない」と言ったとしているが、お母さんは「見覚えがない」と明確に否定したと記憶している。

2、遺体の状態について
 県警の発表は基本的に柏崎の海岸に本人がセカンドバッグのみを置いて自ら海に入ったということを前提としている。そうであればバッグが発見されたのが6月8日だから13日〜14日後の遺体発見となる。しかし、調書には「死後3週間から3ヶ月」と書かれており、時間的に合わない。また、特別悪かったわけでもない20代の女性の歯が最短13日、最長でも失踪した日から17日の間で13本(上顎3本、下顎10本)も外傷なしに歯が抜け落ちることは考えにくい。

3、荒浜海岸について
 山本美保さんは荒浜海岸には行ったことがなく、また、行く理由もない。荒浜駅からは海岸まで徒歩2時間かかる。「自殺の名所」となっているわけでもない荒浜海岸に自殺をするために行く理由は存在しない。また、バッグが見つかってから5日後の6月13日には近くで工事中の柏崎刈羽原発1号機の核燃料の搬入で午前3時頃数千人の反対派が集結し、騒乱状態だったと言われる。県警も過激派の行動を警戒をしていたと思われ、女性が1人で行動していれば目に付いてしかるべきだが、誰も目撃者がいない。

4、海流との関係について
 柏崎から遊佐までは直線距離で約200キロある。途中信濃川、阿賀野川と最上川という大きな川の河口があり、時期的には水量の多い時期である。浮遊物は直線コース(つまり、海岸近くを北東方向に向かった場合)を進んだとしてもこの三つの川の流れに乗って一端沖合に流される可能性が高く、当時の海流などから考えても柏崎・遊佐の間を13〜17日で辿り着く可能性はほとんどない(これほどの短期間でなければ方向としてありえないことではないが)。可能性があるとすればその方向に向かう船に引っ掛って運ばれた場合だが、両足及び右腕は切断されているものの、引っ張って運ばれたと思われる損傷は見られず、この可能性も低い。

5、警察による身元不明遺体との照合について
 バッグが発見された翌日である昭和59年6月9日に家族は新潟県警に捜索願を出している。Yが発見されたのは、12日後である。Yが美保さんならすぐに明らかになっているはずである。また翌年(昭和60年)3月25〜29日には再度柏崎に行き警察にも訪れている。その半月後4月15日に家族は山梨県警に捜索願を提出しており、同年7月3日には県警防犯課から「美保さんに関して依然、情報無し。本人と思われる該当者もない」と、家族に連絡があった。しかし家族・支援者からの質問状に対する県警の本年3月17日付け回答書(以下「回答書」と略称)によると、県警はその2日後の7月5日にYの情報を入手したとなっている。「回答書」では「歯形を採取していましたが、ご遺体の損傷が著しく、容貌や身体特徴が不明であったことや、身元確認の決め手となる所持品もなかったことなどから、当時はそのご遺体を山本美保さんに結びつけることができる決め手がなく、歯形の照合は行われていないと承知しております」となっているが、常識的に考えれば決め手がないから歯形の?,?シ塙腓鮃圓Δ里任呂覆い里?
 また、昭和61年12月2日には、富山県警から連絡があり、県内で発見された身元不明遺体の特徴として歯並びのこと、靴のサイズの事を聞いたが違うことが判明。さらに昭和63年11月29日には東京の身元不明遺体との照合について警視庁から連絡があったが照合の結果これも違うことが判明している。Yについて確認していないのは最初から別人だとの判断をしていたということではないのか。

6、DNA鑑定について
◎DNA鑑定は通常は親子で比較鑑定するのに、それをしなかったのはなぜか。鑑定資料を残さなかったのはなぜか。また、証拠隠滅につながるわけでもないのに、美保さんとYが同一人物であるという唯一の根拠であるDNA鑑定書を開示できない理由が不明である。これではDNA鑑定のプロセスに何かあったのではと疑問を呈されても仕方ないのではないか。ちなみにDNAが一致する場合は一卵性双生児である場合以外に本人である場合があり、DNA検査の結果によって一卵性双生児であることを証明することはできない。

◎「回答書」には次のように書かれている
「複数の身元不明死体データを調査する中で、平成14年10月23日に性別、血液型が一致し、着衣の一部が類似、発見日時、場所等から山本美保さんである可能性も考えられる本件ご遺体が浮上し、山形県警の調査によって、平成14年11月19日、本件ご遺体の一部(骨髄)が司法解剖を行った山形大学に保管されていることが判明したものです」
「平成15年4月26日、山本文子さん、森本美砂さん、山下滋夫さんの同席の場で、山形で発見された身元不明死体の特定のためDNA型鑑定が可能であると説明しており、その後、森本美砂さんから血液の提供を受けております」
 家族は4月26日の県警の説明を「これから、全国の身元不明者に対してDNA鑑定をしていく場合があるので美砂さんの血液を採取したい」と聞いているので認識に食い違いがあるのだが、それを措いてもなぜこの間5カ月以上のギャップがあるのか疑問である。

◎同じく「回答書」によると平成15年5月、山梨県警は警察庁科学警察研究所に第1回目の鑑定に出し、7月22日には「DNA鑑定の結果、山形の身元不明遺体に美保さんの可能性があります。しかし断定的ではないので2回目の鑑定に出します」と美砂さんに伝えたことになっている。しかし、美砂さんはこの当日のメモの中にも本人の記憶にもDNAの話はまったく残っていない。身元不明遺体とDNA鑑定が一致する可能性があるという話は、家族にとっては極めてショッキングな話であり、他のことを覚えておりながらDNAについてだけ記憶していないということは常識的にみて考えられない。また、科学警察研究所への鑑定依頼文書には「甲府市女性行方不明事案(殺人容疑)」となっているが、この「殺人容疑」というのは何を意味するのか。

◎名古屋大学の鑑定は平成15年10月9日開始となっているが、「回答書」のとおり7月22日に家族に通告したのであれば、なぜ鑑定開始までに2カ月半もかかっているのか。また、鑑定終了は16年3月4日だが、「回答書」では3月5日に鑑定結果が出たと言っている。結果を受け取る前に書類を確認もせずに家族に知らせたということである。本人が国内で生存が確認されたとでも言うならともかく、他の条件が一致しない遺体でDNAだけ一致したと言って家族に知らせるというのは極めて不自然である。また、仮に7月22日にDNA鑑定について伝えたというのが本当だったとすると、科学警察研究所の資料による鑑定終了日である6月6日から1カ月半もかかっていることになる。2つの鑑定の結果の通知になぜこのような差が出たのか不明である。

◎また3月5日のDNA鑑定の結果通知は専門家が同席しているわけでもなく、担当者は鑑定書を見せながら「私達にもよく分からないのですが、この数字を見て下さい。ここに99.9999997...と書いてありますね。これが一卵性双生児という事なんです。」とご家族に伝えた。警察がYを美保さんであるとする唯一の根拠であるDNA鑑定書のコピーすら認めず、しかも他の条件の不一致については一切説明がないというのは単なる不手際とは考えにく

9、情報開示について
 Yについての山形県警の調書については家族及びごく一部の専門家のみの閲覧が許されるだけで、コピーも写真撮影も許されていない。前述の鑑定書も同様である。一方、3月17日に、県警が「回答書」を山本家に届けたとき、支援者の一人がなぜ3月5日の県警発表(以下「発表」と略)に「自殺の可能性」とだけ書いたのかと質問すると「美保さんは拉致の可能性もあり、事件性も考えられ、自殺の可能性もあると思っています。美保さんは拉致の可能性が大だと言うことは周知のことですのであえて“自殺”だけ書きました。」と答えた。
 「発表」を読めば分かるように、この表現が、あえて自殺の可能性を示唆したものであることは明らかである。一方で根拠も明示せず自殺を示唆しておきながら、資料の開示については「捜査上の理由」を盾に過剰な制限を加えることには疑問を禁じざるを得ない。


 以上はまだ疑問のごく一部に過ぎない。冒頭に記したように4月28日に調査会役員が警察庁を訪れ五十嵐外事課長に面会したとき、山梨県警は「東京で疑問点について説明を行う」と言っていた。しかし、そこで分かったことは警察庁ですらごく初歩的な情報すらつかんでいなかったということであり、残念ながら疑問はさらに深まったと言わざるをえない。今後さらに調査を進めて真相を明らかにしていきたいが、関係当局も積極的に情報を開示し、疑問を解いてもらいたい。また、報道関係者各位にはこの事件の真実を解き明すための一層の努力をお願いする次第である。


■資料1 山本美保さん関係略年表


昭和59(1984)年
6月4日 午前10時頃図書館に行くと言ってバイクで家を出る
6月6日 バイクを甲府駅前で発見
6月8日 甲府警察署から午後2時頃自宅に柏崎市荒浜海岸でセカンドバックを発見したとの連絡。午後3時頃柏崎警察から直接電話。
6月9日 両親と叔父が現地に行き当たりを捜索。
6月10日 近くの旅館や佐渡行きの乗船名簿を調べ、直江津港にも行くが手掛りはなし。甲府に戻る。
6月21日 正午頃一部白骨化した遺体が山形県遊佐町十里塚海水浴場の北500メートル地点に漂着していたのを遊びに来ていた者が発見。
6月22日 各紙に報道。山形大学医学部法医学教室に遺体を運び司法解剖。
6月23日 遺体を遊佐町役場に戻し、火葬。遊佐町の帝立寺に埋葬する。
11月6日 この日から4年半程の間無言電話が自宅に続く。

昭和60(1985)年
3月25〜29日 お母さんの文子さんと双子の妹の美砂さん、新潟に行き警察、新聞社、飲食店業組合長、保健所などを訪れる。
4月15日 山梨県警に捜索願を再提出。
7月5日 「回答書」によれば「山形県警が全国に手配。山梨県警当該遺体の情報を入手」

昭和63(1988)年
7月 県警から毎年8月に身元不明人強化月間で資料を見る案内が届く
平成元(1989)年
7月 県警から毎年8月に身元不明人強化月間で資料を見る案内が届く

平成10(1998)年頃まで捜索願を更新する

平成14(2002)年
7月24日 美砂さん小島晴則救う会新潟会長を訪問。アドバイスを受ける。柏崎署などを訪問。
9月21日 山梨県警、美砂さんから相談を受ける。
10月 「回答書」「遺体について把握。山本美保さんが受診していた司会に照会したがカルテは現存せず」。
10月頃 山梨県警から山形県警に身元不明遺体について問い合せ
10月23日 「回答書」「性別、血液型が一致し、着衣の一部が類似、発見場所等から山本美保さんである可能性も考えられる本件ご遺体が浮上し、山形県警の調査によって、平成14年11月19日、本件ご遺体の一部(骨髄)が司法解剖を行った山形大学に保管されていることが判明」

平成15(2003)年
4月26日 お母さん、美砂さん、山下滋夫山梨大教授(現調査会理事)が県警からDNA鑑定の話を聞く。
5月 山梨県警に山形大学が遺体の骨髄を渡す。
5月7日 森本美砂さんから血液採取
5月9日 警察庁科学警察研究所でDNA鑑定に着手
6月6日 鑑定終了。
7月22日 「回答書」によれば「厚生年金会館で県警矢崎・清水が美砂さんに性別・血液型を含めた3点が合致すると伝えた」とあるも美砂さんはこれを記憶しておらず、当日のメモにもない。
10月9日 名古屋大学でDNA鑑定に着手。
10月16日 新潟県警が大澤孝司さんとともに山本美保さんを拉致濃厚と発表
11月7日 山梨県警が森本美砂さんに遺体の遺留品を見せる。県警は「このときDNA鑑定中の山形の遺体であると伝えてある」としているが美砂さんにその記憶はない。

平成16(2004)年
1月27日 山梨県警がお母さんと美砂さんに遺体の遺留品を見せる。このときも県警は「DNA鑑定中の山形の遺体であると伝えてある」としているが美砂さんには記憶はない。また、県警の回答ではこのときご家族は「この写真だけでは判別できない。わからない」と回答したというが、お母さんは下着、ネックレスについて明確に否定している。
1月29日 一斉告発。県警は「捜査はしているが手掛りはない」と家族らに語る。
3月4日 名古屋大学のDNA鑑定終了、山梨県警から森本美砂さんにDNA鑑定が一致したとの電話
3月5日 名古屋大学のDNA鑑定書を県警が受け取る。森本美砂さん夫妻、甲府市内で山梨県警からDNA鑑定書を見せられる。県警マスコミに発表。
3月11日 県警に質問状を提出
3月17日 県警「回答書」を家族に渡す。
4月7日 家族が県警を訪れYに関する山梨県警の調書の写しを閲覧。
4月28日 調査会役員警察庁を訪れ五十嵐外事課長から説明を受ける。

 

■資料2 3月5日に山梨県警の発表した広報文
        
 平成16年3月5日
         警察本部警備第一課
行方不明者「山本美保」さんについて

 山梨県警察本部警備第一課では、甲府市内から行方不明となっていた「山本美保」(当時20歳)さんにつき、これまで一連の捜査を行った結果、山形県内で発見された遺体と同一人物であると判断した。


1、山本美保さんの行方不明状況等
 昭和59年6月4日、甲府市長松寺町の自宅を「図書館に行く」と言って外出し行方不明となり、4日後の6月8日に新潟県柏崎市内の海岸において同人のセカンドバックが発見されている。
 なお、本件失踪に関しては、北朝鮮から韓国に亡命した権革(クォンヒョク)が「平成6年頃、北朝鮮国内において見かけた女性が山本美保さんにそっくりである」と証言したとされている。

2、山本美保さんと判断した理由
 山形県内で発見された身元不明遺体の一部とのDNA鑑定(本年3月上旬判明)を含めた捜査の結果により、山本美保さんと同一人物であることを判断した。

3、遺体の発見状況
(1)発見日時 昭和59年6月21日午後0時頃
(2)発見場所 山形県飽海郡遊佐町地内の海岸
(3)状況 一部白骨化の状態で海岸に漂着していたところを海岸に遊びに来ていた者が発見
(4)死因 溺死
(5)今後の捜査
  本件については平成14年9月以降、鋭意捜査を行っていたところであるが、山本美保さんが、平成6年頃、北朝鮮国内において生存していた可能性はない。
 死亡理由については、自殺の可能性があるが、捜査を継続する。


■資料3 山梨県警の対応(3月7日付け産経新聞山梨版記事)

 県警の説明不十分 県警記者クラブが異例の再質問要請  回答ほとんど「言えぬ」
 県警警備一課の丸山潤課長が5日夕に行った山本美保さん死亡の発表に対し、「山梨社会部記者会」(産経新聞社など県内の新聞、放送、通信各社が加盟)は同夜、「説明が不十分だった」と文書で異例の再質問を行った。
 丸山課長の発表は、県警側の意向で通常の記者会見と異なり、テレビや新聞のカメラを入れずに行われた。発表文を読み上げたほか、遺体の死亡推定日時、DNA鑑定を行った時期など基本的な質問のほとんどに「捜査は継続しており、言えない」と回答を避けた。
 警備一課への再質問への回答の概要は次の通り。記者会では、美保さんの失踪(しっそう)の真相については、県民や全国の特定失踪者の家族などの関心も高いため、正式な会見を求めているが、県警側は「難しい」との姿勢を崩していない。

     ◇

 −−遺体のDNA鑑定はいつ行ったか
「具体的には言えない」
 −−DNA鑑定で遺体と一致したのは、森本美砂さんの血液か
 「その通りだ」
 −−身元不明遺体をどう絞り込んだのか
 「新潟県を中心に、流れ着く可能性のある場所を中心に女性の遺体を調べた」
 −−何体の遺体をDNA鑑定したか
 「言えない」
 −−遺体の死亡推定日時は
 「言えない」
 −−着衣は失踪当時と同じだったか
 「失踪時、どんな着衣か確認できないため判断できない」
 −−靴は履いていたか
 「言えない」
 −−遺体の外傷の有無は
 「なかった」
 −−遺体は無縁仏として火葬されたのか
 「山形県警が法律に基づいて役場に引き渡したと聞いているので、わからない」
 −−火葬で残った骨をDNA鑑定したのか
 「違う。あくまで残った骨髄と(美砂さんの)血液が一致したとしか言えない」
 −−自殺の可能性がある、という根拠は
 「自殺を含め、さまざまな可能性について捜査を継続するとしか言えない」
 −−家族にいつ、どのように伝えたのか
 「家族の希望で言えない」
 −−今後どんな捜査をしていくのか
 「幅広い捜査をしていくとしか言えない」
 −−全国民が注目している。カメラを入れて正式な会見をしてほしい
 「それは難しい」


■資料4 3月10日に県警に家族・支援者が出した質問状

 平成16年3月10日
山梨県警察本部本部長 殿


山本美保の家族
    特定失踪者問題調査会
山本美保さんの行方不明の真相究明を求める会


山梨県警の今回の発表に対する質問について
 時下、益々ご清祥の事とお喜び申し上げます。
 常日頃からご厚情を賜り、御礼を申し上げます。
 さて、このたびの平成16年3月5日甲府市ニュー機山において、DNA鑑定の結果が示され、山形県の遺体が山本美保さんであると県警は断定致しましたが、山本美保の家族及び支援団体はいくつかの疑問を抱いている次第です。
 そこで、山梨県警に対しまして、別紙添付の質問事項について、平成16年3月17日までに、文書にて御回答をお願いする次第です。
 人命尊重の見地から、大至急ご対応頂けますよう重ねて御願い申し上げます。
以上

質問事項

 当時、山形の遺体が発見された時に、山形県警から山梨県警に照会の事実はなかったのか。ないとすれば、その遺体の件を、山梨県警が知ったのは、この20年間のうちのいつで、それはどういう経過から知ることになったのか。
 山形の遺体の状況を県警はどのような資料から、どの程度把握しているのか、説明してほしい。写真はあるのか、ないのか。あれば県警は見たのか。山形県警の調査資料を山梨県警は読んでいるのか。
当時の新聞報道では、「死後1ヶ月から2ヶ月、20歳から40歳の女性で、右腕が根本から、足が両太ももから切取られていた」とあるが、その通りか。それ以外の本人を特定できるような指紋、顔形、体型、髪型などの身体的特徴は、把握していないのか。その遺体の当時の山形県警の捜査状況も、当然知っていると思うが、それについても説明してほしい。
 切り取られた理由が、漁船のスクリューだったという根拠はあるのか。その遺体が自殺の可能性があるとの論拠は何か。
 首のネックレスが残っているということは、当然頭部も残っていたと思われる。頭部が残っていれば、歯型があるはずだが、歯型の資料はないのか。あれば、その歯型と山本美保さんの照合はなされたのか。なされなかったとすれば、なぜか。
 山梨県警が、今回の山形の遺体の骨髄が残っているということを知ったのは、いつで、どういう経過で知ることになったのか。その骨髄を残していた担当者は存命か。その方の所在を確認し、事情を聴取したのか。その骨髄は山形大学の医学部のどこに、どのような保存状態で、どのくらいの量があったのか。骨髄の提供は、担当者からか、それとも大学側からか。その骨髄試料の写真はないのか。
 平成15年5月に、森本美砂さんに血液提供を求めたのは、山形の遺体とのDNA鑑定が念頭にあったのか。血液提供からなぜ鑑定結果が出るまでに9ヶ月間かかったのか。まず警察の科学捜査研究所で鑑定したというが、その期間と結果の状況はどうだったのか。名古屋大学での鑑定が昨年10月から5ヶ月間かかったのはなぜか。名古屋大学の鑑定書の写しを提供してほしい。試料に用いた骨髄がわずかのために、2回の調査でなくなってしまったというが、骨髄から取り出して鑑定に用いたDNA自体は残っているはずだ。そのDNA試料を提供してほしい。
 今回、山本美保さんと山形の遺体の一致の根拠は、DNA鑑定のみで家族に示したが、なぜDNA鑑定結果だけで断定したのか?それ以外の根拠はないのか。あったならば、説明してほしい。
 県警は山形の遺体の遺留品の写真を、平成15年10月に美砂さんに、平成16年1月にお母様に、二度に渡って見せている。その都度「美保ではない」と家族が否定している。今回のDNA鑑定結果との矛盾について、警察はどのように解釈しているのか。なぜその矛盾の解明を家族に説明しないのか。
遺留品が違うと家族がいっているにもかかわらず、なぜ科研に続いて名古屋大学にDNA鑑定を依頼したのか。
 平成16年1月29日に、国外移送目的略取容疑で告発状を提出した際に、「捜査はしているが手がかりはない」と県警は家族と支援団体に説明していた。なぜDNA鑑定していることを説明しなかったのか。
 3月5日(金)夕方のフジテレビのニュースで全国に「山本美保さんが山形の遺体と一致し、事件性のない自殺の可能性が高いと山梨県警が判断した」との報道がなされた。家族や支援団体は、一切マスコミには話をしていなかった。にもかかわらず、逆にフジテレビが家族や支援団体に取材を開始していた。そして、その報道内容は、その後山梨県警の公表した「広報文」の内容そのものであった。警察が情報を一部マスコミにリークしたとしか考えられない。情報リークを認めるか。認めないとすれば、その経緯を調査する意向はないのか。
 県警の広報文で「北朝鮮から韓国に亡命した権革(クォンヒョク)が「平成6年頃、北朝鮮国内において見かけた女性が山本美保さんにそっくりである」と証言したとされている」「本件については平成14年9月以降、鋭意捜査を行っていたところであるが、山本美保さんが、平成6年頃、北朝鮮国内において生存していた可能性はない」と2ヶ所も引用している。権革(クォンヒョク)証言については、特定失踪者問題調査会が山本美保さんを拉致濃厚と判定した時に、証拠としては重きをおいていない。にもかかわらず、なぜ県警はその証言を重視するのか。その理由を説明してほしい。
 セカンドバックが発見された柏崎、遺体が発見された山形県遊佐町は、北朝鮮の工作員の上陸地点だが、県警はそのことを認識していたのか。
 美保さんが失踪してから、無言電話があったが。県警は一体誰が何のためにかけたと考えているのか。3年6カ月後の電話では「美保でしょ? 元気?」というと、かすかに「元気ノノ」と答え、この他電話口ですすり泣く声や無言電話が続いたというが、警察はこのことをどのように解釈しているのか。
 元北朝鮮工作員安明進氏によれば、「拉致された人が抵抗した場合強烈に殴打され、死亡した人もいた」と言っている。仮に今回の遺体が山本美保さんだとしても、北朝鮮工作員の上陸地点であること、遺体の状況から拉致の失敗など、拉致の可能性を県警は考えていないのか。
 今回、県警はなぜ家族の要請にもかかわらず山下滋夫氏ら支援団体の代表者らの同席を許されなかったのか。「捜査上の理由」ということで断ったが、それまでは、山下氏ら支援団体を「捜査上の理由」で、県警から状況報告したり、協力を求めたり、してきたにもかかわらず。


■資料5 資料3の質問状に対する3月17日付県警の回答

山本文子・森本美砂・森本直行  殿


山梨県警本部警備第一課長


捜査経過の通知について
 犯罪捜査規範第10条の3に基づき、3月10日付のご質問事項に沿って別添のとおり通知いたします。

質問事項1について
 山形県では当該身元不明死体が発見されたのは、昭和59年6月21日であり、山形県警では、自他殺の別、死因などを特定するためご遺体を司法解剖に付すなど、必要な捜査を行ってきましたが、身元を特定する有力な手がかりは得られなかったと承知しております。警察では、身元不明死体を認知し、指紋、身体特徴、各種照会を行っても身元が確認できない場合は、身元不明死体票を作成し警察本部鑑識課に送付しており、鑑識課では補完されている家出人票との対照を行い、該当がない場合、当時は全国の警察本部鑑識課に直接文書を送付しての照会を行うことで、不明者の確認を行っていたところです。昭和60年7月5日、本件ご遺体に関しても山形県警が全国に手配を行っており、山梨県警は、この時点で、当該身元不明死体の情報を入手したところであります。

質問事項2について
 山梨県警においては、山形県警の全国手配により、当該身元不明死体について、死因、身体的特徴(写真を含む。)等の解剖結果等を含め、山形県警において行われた捜査状況について把握しております。
 なお、当時の捜査によれば、死因は溺死、自他殺は不明、死後3週間から3カ月、血液型A型、推定年齢が20〜25歳、推定身長が160〜170cm、左右下肢の大腿上端部での欠損には、スクリューによる痕跡が認められたと承知しております。また右上肢がなく、左手表皮が消失していることから、指紋の採取はできず、頭部、顔面が白骨化していたと承知しております。
 しかしながら、ご遺体の身元を特定する有力な手がかりを得るには至らなかったと承知しております。

質問事項3について
 本件ご遺体については、山形県警において、歯形を採取していましたが、ご遺体の損傷が著しく、容貌や身体特徴が不明であったことや、身元確認の決め手となる所持品もなかったことなどから、当時はそのご遺体を山本美保さんに結びつけることができる決め手がなく、歯形の照合は行われていないと承知しております。
 なお、平成14年10月にこのご遺体について山梨県警で把握後、山本美保さんが受診していた歯科医に対する照会を行いましたが、すでにカルテの保存期間を経過していたことから、カルテは現存せず、このご遺体と歯形の照合を行うことはできませんでした。

質問事項4について
 山梨県警では、平成14年9月21日にご家族から「北朝鮮に拉致されたのではないか」との相談を受けて以降、関係者約100人の事情聴取をはじめ、事件、事故などあらゆる事案を想定し幅広い捜査、調査を行うと同時に、広範囲に身元不明死体の調査を行ってきました。
 複数の身元不明死体データを調査する中で、平成14年10月23日に性別、血液型が一致し、着衣の一部が類似、発見日時、場所等から山本美保さんである可能性も考えられる本件ご遺体が浮上し、山形県警の調査によって、平成14年11月19日、本件ご遺体の一部(骨髄)が司法解剖を行った山形大学に保管されていることが判明したものです。
 本件鑑定人はご存命ですが、既に同大学を退官されております。骨髄は、山形大学の法医学研究室に、微量ではありますが、本件ご遺体のものであることが明確にされた形で保管されており、保管者である山形大学の医師から適正な手続を経て提出を受けております。
 写真については鑑定書(DNA型鑑定)に添付されています。

質問事項5について
 平成15年4月26日、山本文子さん、森本美砂さん、山下滋夫さんの同席の場で、山形で発見された身元不明死体の特定のためDNA型鑑定が可能であると説明しており、その後、森本美砂さんから血液の提供を受けております。
 鑑定はまず平成15年5月、警察庁の科学警察研究所で行い、6月上旬、山本美保さんである可能性はあるが断定できない旨の回答を得ました。この結果についても、ご家族には説明しております。その後、名古屋大学に対し平成15年10月上旬、DNA型鑑定を依頼したところ、本年3月5日、本件ご遺体が森本美砂さんと一卵性双生児であるとの鑑定結果が出たものです。
 鑑定書の写しについては、本件が未だ捜査中の事件であることから交付することはできませんが、名古屋大学では本件を重要な案件であると捉え、慎重な鑑定を行った結果、5ヶ月という期間を要したものであります。鑑定に用いたDNAについては、現在も名古屋大学において保管されているようですが、その詳細については同大学へ確認中です。

質問事項6について 
 本件ご遺体が山本美保さんであると判断するに当たっては、DNA型鑑定が決め手となっておりますが、山本美保さんが昭和59年6月4日に行方不明になり、6月8日に新潟県柏崎市でセカンドバッグが発見されたこと、山形県で6月21にご遺体が発見されたこと、新潟県から山形県への海流等の捜査、解剖の所見等を踏まえ、総合的に判断しました。

質問事項7について
 山形県の身元不明死体の遺留品のネックレスとGパン、下着については、平成15年11月7日に森本美砂さんと平成16年1月27日山本文子さんにそれぞれ写真で確認していただきましたが、その際のご家族の回答は、この写真だけでは判別できない、わからない、との内容でありました。
 DNA型鑑定はまず警察庁の科学警察研究所で行いましたが、山本美保さんの可能性はあるが断定できない旨の結果であったことから、7月22日、森本美抄さんに対して科学警察研究所のDNA型鑑定結果を述べた上で、再鑑定を行うことをお話しております。

質問事項8について
 DNA鑑定を行っていることはすでにご家族には伝えてありました。また、告発を受理した時点では鑑定中でありました。

質問事項9について
 山梨県警では、これまでも、捜査に関する情報については、ご家族の立場や心情に配慮した取り扱いをしてまいりました。
 従って、ご家族への連絡、説明を最優先とし、報道発表についてもその後に行うこととしておりました。
 山梨県警では、こうした立場から、ご家族への説明に先立つ報道関係者への説明は一切行っておりません。

質問事項10について
 DNA型鑑定の結果などから、昭和59年6月21日に山形県で発見されたご遺体が山本美保さんであると判断したことから、平成6年に山本美保さんが生存していた可能性はない、という判明した事実を述べたものです。

質問事項11について
 柏崎市は、昭和53年7月のアベック拉致容疑事案の発生場所であり、山形県遊佐町に隣接する酒田市でも、過去に北朝鮮工作員と見られる者が潜入した事例があることは承知しております。

質問事項12について
 捜査は行いましたが、解明するには至っていません。

質問事項13について
 本件については、一連の捜査結果を勘案すれば、山本美保さんの失踪は、自殺によるものである可能性がある一方、拉致の可能性も完全には排除できないものとして、捜査を継続することとしております。

質問事項14について
 捜査上の理由と、ご家族及びこれまで捜査に協力いただいた関係者のプライバシーに配慮して判断いたしました。

 

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特定失踪者問題調査会ニュース
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