山本美保さん問題 山梨県警の回答書への疑問点・矛盾点

年月日 出来事 家族の動き
家族が認識している警察の動き
回答書による警察の動き 矛盾点
疑問点
1984年
1984/6/4 美保さん消息を絶つ。失踪。
 
6/8 柏崎の海岸で美保さんのバッグが見つかる

6/9 新潟県警に捜索願を提出

6/21 山形県の遊佐町の海岸にて身元不明遺体を発見
1985年
1985/3/25 再び新潟へ行き(29日まで)、新潟の新聞に「尋ね人」の掲載、又、チラシでの呼びかけをする。


4/15 山梨県警に捜索願を提出
7/3
山梨県警防犯課から家族に電話連絡。
「美保さんに関して依然、情報なし。本人と思われる該当者もなし。」との事。


7/5

山形のご遺体の情報を入手
1986年
1986/12/2 富山県にて身元不明遺体を発見、照合
富山県警から連絡があり、身元不明遺体と照合する。歯並び、靴のサイズなどから美保さんでないことが判明
1988年
1988/11/29 東京都にて身元不明遺体を発見、照合
警視庁から連絡あり、身元不明遺体と照合する。性別、その他、美保さんと思われる項目があったが、照合の結果、違うことが判明。
2002年
2002/7
「拉致なのでは・・」と疑いを持つ。柏崎署に行き、相談をする。

9/21 「拉致なのでは・・」と山梨県警に相談に行く。 この相談を受けて、100人の事情聴取、身元不明遺体との照合をする。
9/24 新潟県警に再度、捜査依頼に行く。
10/23 山形のご遺体の血液型、性別、着衣の一部が類似。発見日時、発見場所からこのご遺体に着目
10月 美保さんの歯のカルテが現存していないことにより、歯の照合が出来ないことが判明
11/19 山形のご遺体の骨髄が保管されている事が判明
12/5 新潟県警、山梨県警が山本家を訪問 新潟県警から2名、山梨県警から3名、計5名が山本家を訪問し捜査の状況報告をする。失踪当時の新潟・柏崎の天候を調査したり、当時勤務していたバス・電車の会社の人たちへの調査もしているが、手がかりなし。今後もあらゆる面から捜査をしていくとの旨。
2003年
2003/4/26 全国の不明遺体に対してDNA鑑定をするため、美砂さんの血液を採取することを了解。 山形のご遺体との照合のため、DNA鑑定をすることを家族に説明し、美砂さんの血液採取の了解を得る。
5/7 美砂さんの血液採取
5月 警視庁科学警察研究所にて第1回目の鑑定。
6月上旬 DNA鑑定が行われていることは、知らされていない。 警視庁科学警察研究所から鑑定結果の報告。「美保さんの可能性はあるが断定は出来ない」
7/22 鑑定結果を聞いておらず、ましてや2回目の鑑定に出すなどという事は、聞いていない。
「美保さんの可能性はあるが、まだ断定は出来ないので、2回目の鑑定に出す」との事を家族に伝えた。
10月上旬 名古屋大学にDNA鑑定を依頼
11/7 山形のご遺体の遺留品の照合 美砂さんが確認。下着類(ブラジャー、スリップ、ショーツ)、ネックレスなど、「これは美保の物ではない」と断言。しかし、Gパンは何の特徴もない一般的なGパンだった為、「何とも言えない」と答える。DNA鑑定をしている等という話しは、一切聞いていない。 遺留品に関して、家族は「写真では判別出来ない」と答えた。また、現在、この山形のご遺体とのDNA鑑定を行っている事を家族に伝えた。
2004年
2004/1/27 山形のご遺体の遺留品の照合 お母さんと美砂さんが確認。お母さんも美砂さんと同じく、下着類、ネックレスに関して「美保の物ではない」と断言。Gパンに関しては「何とも言えない」と答える。DNA鑑定をしている等という話しは一切聞いていない。
3/4 山形のご遺体のDNAと美砂さんの物が一致しました。明日、午前中に名古屋へ鑑定書を取りに行ってきます」と、美砂さんの携帯に夕方、連絡が入る。
3/5 ニュー機山の一室にて、美砂さんと(美保さんの)義弟の直行さんが説明を受ける。


この一覧表は、4月30日国民大集会で配布された「美保さんの家族を支援する会」のパンフレットを元に電脳補完録が作成したものです。
「美保さんの家族を支援する会」のサイトには、山梨県警への質問書、回答書などの資料が掲載されています。
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/