北朝鮮拉致事件関連年表・資料

 

新聞協会賞受賞時の阿部記者のコラム
 



 十八年前、昭和五十四年の晩秋から冬にかけ、新潟・富山・福井・鹿児島の浜に埋もれていた若い男女の失跡(一件は拉致未遂)を掘り起こして歩いた。一本の糸に結び、北朝鮮による拉致疑惑とする発端は富山の未遂事件での、どれも極めて特異な犯行手口、遺留品、犯人グループ目撃者の証言だった。

 しかし、記事の評判は芳しくなかった。一般市民がある日突然襲われて海の向こうへ連れ去られる…。「そんなことはありえない」「ためにする報道」との批判もいただいた。

 拉致疑惑としての社会的な認知は、一九八七年(六十二年)の大韓航空機爆破事件で逮捕され、日本から拉致された女性(李恩恵)の存在を明らかにした北朝鮮の女性工作員、金賢姫の供述まで待たなければならなかった。

 その後も、いくつかの情報があり、そのたびに空振りに終わった。風化する拉致疑惑−そんな思いがし始めた矢先の今年(九年)一月、新たに横田めぐみさん拉致疑惑が浮上したのだった。

 わが子・兄弟姉妹の無事の帰りを待ちわびる家族たちが集まり三月に会が結成された。その前日、地方から上京した皆さんと久しぶりに会った。

 家出では、心中では、と失礼かつ執ような取材をさせていただいた当時を心苦しく思い出したが、「あの時、あなたが訪ねてこなければ、今の拉致疑惑報道はないかもしれませんよ」と、逆に慰められた。

 《その日》まで、国家主権と人権に重くかかわるこの疑惑の解明を続ける。

【産経新聞 平成9年9月4日付朝刊】