原敕晁(ただあき)さん
 
 電脳補完録


北朝鮮の発表:死亡

拉致:昭和55(1980)年6月 宮崎県青島海岸

昭和55(1980)年6月、北朝鮮工作員辛光洙らによって宮崎県青島海岸から北朝鮮に拉致された。原さんは昭和12年8月2日生まれ、当時43歳で、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会理事長の経営する中華料理店「宝海楼」の店員をしていた。その後辛は原さんになりすまし日本に入国。パスポート、運転免許証、国民健康保険証まで取得し、海外にも出て対南工作を続けていた。辛は昭和60(1985)年2月、原さん名義の旅券を持って韓国に入国し逮捕され、韓国当局の取り調べによって原さん拉致事件が明らかにされた。辛は平成11(1999)年12月31日恩赦で釈放され、金大中政権の「非転向長期囚送還」によって翌12年9月2日北朝鮮に送られた。

警察庁が拉致事件と認定

   
   
原 敕晁(はら ただあき)さん
1936年8月2日生(現在66歳)
大阪市東成区
行方不明当時 調理師(43歳)
   
 

* 1980年6月、宮崎市の青島海岸で消息不明。
* 北朝鮮元工作員の辛光洙(シン・グァンス)元死刑囚が韓国で摘発され、ソウル地裁で原さんを拉致したと証言したことにより、拉致が発覚した。
* 行方不明当時は、中華料理店「宝海楼」の調理師だった。
* 朝鮮名は「パク・チョルス」。
* 1980年6月から1984年10月まで招待所で暮らす。
* 1984年10月19日、田口八重子さんと結婚。
* 1986年7月19日ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡で肝硬変で死亡したと伝えられる。
* 田口八重子さんとの間に子供はなく、遺品もないと伝えられた。
* 北朝鮮への入国経緯は「原さんが金もうけと歯科治療のため、海外行きを希望していたので、工作員が原さんの戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した。これにより1980年6月17日、宮崎市青島海岸から連れてきた」と発表された。
* 宝海楼は在日朝鮮人大阪府商工会理事長・李三俊の経営する北京料理店だった。
* 原さんを拉致した辛光洙は、原さんになりすまし日本に入国。パスポート、運転免許証、国民健康保険証などを取得し、海外にも出て対南工作を続けていたところ、1985年2月に韓国で逮捕された。
* 辛光洙は1999年12月31日に恩赦を受けて釈放された。

   

 

北朝鮮が呈示した個別情報
 
  1.  朝鮮名:パク・チョルス 男 1936年8月2日生、当時43歳
  2.  本籍:島根県松江市
  3.  出生地:宮崎県宮崎市
  4.  住所:大阪市東成区
  5.  前職:大阪市の中華料理店の調理師
  6.  入国経緯:金儲けと病気治療(歯科治療)のため、海外行きを希望していたところ、工作員が本人の戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した。これにより1980年6月17日、宮崎県宮崎市青島海岸から連れてきた。
  7.  入国後の生活:1980年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験をしていた。
     1984年10月19日田口八重子さんと結婚
  8.  死亡経緯:1986年7月19日ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡で肝硬変で死亡。
  9.  墓:田口八重子さんと同じところにあったが、95年7月の豪雨によりダムが決壊し流される。
  10.  遺品:なし
  11.  子供:なし
  12.  辛光洙の関与等については今後法的仕組みができたら提供する。