【深層 朝銀事件】北朝鮮の影を追う(2)現れた工作員 「学習組」が経営を支配
[2001年12月21日 東京朝刊]

 「朝鮮総連の最高幹部が亡命したらしい」

 十二月初旬と十四日、関係各所はこの情報に振り回された。「自宅に戻っていない」「北朝鮮に帰った」「西側大使館に入るところが目撃された」−いわゆる「ガセ情報」だった。

 これには伏線があった。朝銀東京事件が総連の幹部逮捕に発展したのは「康(総連元財政局長)の指示があった」などの具体的な供述があったためだが、容疑者のなかに「運び屋」と呼ばれる現金を運んだ人物が含まれていたため、供述次第で総連の最上層部を巻き込みかねないとして、最高幹部の動向が注目されていたのだ。

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 強制捜査を機に、総連内部の不満が噴き出してきた感がある。

 十二月五日、総連は「東京朝鮮文化会館」(東京北区)に故金日成主席、金正日総書記の肖像画を掲げて三千人の「不当逮捕」「政治弾圧」を訴える日本糾弾大会を開いたが、散会後の二次会では全く気勢が上がらなかったという。

 「総連が今まで何をやってきたかは皆、よく知っている…」(朝鮮総連関係者)

 「在日から金を集められるうちはまだいい。それができなくなると朝銀から資金を捻(ねん)出(しゆつ)した総連地方支部が金を用意する。朝銀の帳簿なんて体をなしていないから金はどうにでもなった」。総連の非公然組織「洛東江」のメンバーだった故張龍雲氏は生前、こう証言していた。

 「総連の指示にはさからえなかった」「人事も含めて朝銀経営は総連に握られているんです」と朝銀関係者の供述は一致している。全国の朝銀は総連に完全に支配されていた。

 そのやり方はこうだった。朝銀は不正融資の穴埋めをするために仮名、借名口座を用意してさらに資金を流用する。在日商工人に融資を行う際は多めに貸し付け、割り増し分を総連に献金させ、総連が朝銀に持つ口座にプールしていた。

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 だが、公安関係者は事件の本質は別にあると指摘する。「総連の後ろに北朝鮮がいるということだ」

 朝銀経営に北朝鮮が関与していた実態をさらけ出す民事訴訟が平成十年にあった。在日朝鮮人企業家が朝銀愛知を相手取り、当時の副理事長に横領された預金など約十七億五千万円の返還を求めたものだ。裁判の過程で朝銀愛知の経営は「学習組」という聞き慣れない組織が仕切っていたことが原告側によって暴露された。

 提出された総連の内部資料などによると、学習組は「偉大な首領金日成元帥が組織し、親愛な指導者金正日同志が指導する在日朝鮮人金日成主義者の革命組織」であり、活動任務は「祖国を擁護防衛」「日本で主体(チュチェ)革命偉業の遂行に積極的に寄与」することだった。

 この民事訴訟は預金などの返済は認められず原告の敗訴となったが、判決文は学習組の存在を認め、『被告(朝銀愛知)の幹部はすべて学習組員から登用されていた』とし、『(朝銀愛知は)金融機関としての本来の業務のほかに朝鮮総連の活動資金や北朝鮮に対する献金資金を調達する特殊任務を行っていた』と明記された。

 「私の預金は北朝鮮への送金や韓国からの留学生のオルグ、親北系の国会議員の政治献金などに使われた」

 原告の在日企業家はそう話した。

 平成十一年夏、自民党外交部会で公安関係者は学習組について「全国に約千の組織があると把握している」と報告した。

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 東京の下町繁華街。夜もふけたころ、韓国人スナックにスーツ姿の男が入ってきた。しばらくすると連れらしい男が店に現れた。周囲をはばかることなく札束をスーツ男に手渡した。スーツ男は公安当局が北朝鮮工作員とみてマークしている人物、金を持ってきたのは在日商工人だった。

 「どんな金で、何のために渡されたかは分からない。こういう接触が行われているのが日本の現実だ」と公安関係者は明言する。

 しかし、朝銀のプール口座から金が引き出されてしまえば、その追跡は至難の業だ。朝鮮総連が朝銀から吸い上げた資金の使途解明は「物証が乏しく立件は難しい」(捜査員)との見方が強い。(北朝鮮問題取材班)