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国連人権委員会強制的作業部会で家族会代理として外務省齋木審議官が陳述
 

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2003.11.14)


■ 国連人権委員会強制的作業部会で家族会代理として外務省齋木審議官が陳述

ジュネーブの国連人権委員会強制的失踪作業部会で、11月12日、午前11時(日本時 間19時)に、外務省アジア大洋州局の斎木審議官が、家族会の代理として、横田めぐみさんら北朝鮮が一方的に死亡と通告したが消息が未だ不明の8人の拉致被害者と、未入国と通告された曾我ミヨシさんに関する陳述がありました。以下はその日本語全文です。

 

強制的失踪作業部会ステートメント

作業部会の委員の方々、

まず、日本国政府を代表し、本日、こうして貴作業部会が我々に発言の機会を与えて頂いたことに感謝致します。日本政府としては、貴作業部会が失踪者の所在確認のために、真摯に取り組んでおられることを高く評価しており、日本政府としても作業部会における審理が円滑に進捗するよう最大限の協力を行う用意があることを改めて申し上げます。

また、本年9月1日付けで作業部会から日本政府宛届いた書簡によると、本年7月御家族から申し立てが行われていた曽我ミヨシさんの所在確認に係る申し立てにつき、新たに作業部会で審理されることとなった旨記されておりました。本件の取扱いに関する貴作業部会の御尽力に改めて感謝申し上げます。

作業部会の委員の方々、

日本政府としては、本作業部会で取り上げていただいている9名の安否確認を含む拉致問題の解決に全力を傾けて取り組んでいます。日本政府は、北朝鮮側に対し直接、関連情報の提供等を強く求めており、最近では、8月の六者会合において、日本側より、拉致被害者御家族の帰国と真相究明を強く求めました。これに対しては北朝鮮側より、日朝間には、日朝平壌宣言というしっかりした基礎があり、拉致問題を含めた日朝間の問題は、日朝平壌宣言に則って一つ一つ解決していきたい旨発言があり、日本政府からは二国間での話し合いを求めていますが、これまで北朝鮮からは何ら回答がありません。また、日本政府としては、この深刻な人道問題の解決に向けた国際社会の理解と支持を得るべく、国際場裏において機会あるたびにこの問題を提起してきました。その結果、拉致問題の解決に対する広範な国際的支持が得られるに至っていると考えています。本年4月16日には人権委員会において「北朝鮮の人権状況決議」決議が採択されました。日本政府としては、本件決議は、国連人権委員会として拉致問題の解決を北朝鮮に迫ったものとして高く評価しており、これを受け、北朝鮮側が迅速且つ適切に問題解決に向けた取組みを進めることを強く期待しております。

作業部会の委員の方々、

しかし、こうした直接・間接の働きかけに拘わらず、昨年10月以降、北朝鮮側からは被害者の安否に関する情報は何ら提供されていません。それどころか、北朝鮮は、必要な情報は既に提供済みであり、拉致問題は解決済みであるとしています。
このような遺憾な状況においては、申立て人だけでなく日本政府としても、貴作業部会における審理が継続され、拉致被害者の所在確認に繋がるよう、情報が得られることが極めて重要であると考えております。作業部会の活動には、日本政府として出来ることは何でもやる所存です。本日、こうして貴作業部会の委員の方々のお時間を頂き、我々がプレゼンテーションを行っているのは、まさにこのような考えに基づくものであります。

作業部会の委員の方々、

本日、我々のステートメントにおいては、第一に、北朝鮮による拉致の被害者としてこれまで貴作業部会に所在確認の審理を申し立てている9名について、貴作業部会からの要請に応え、本年10月、日本政府より、追加的な情報を提供しましたところ、その概要を説明したいと思います。第二に、新たに作業部会で審理されることとなった曽我ミヨシさんの娘さんであり、自らも北朝鮮による拉致の被害にあい、昨年10月15日に我が国へ帰国した曽我ひとみさんが作業部会宛にメッセージを寄せられており、これを代読したいと思います。まず、先般、日本側より提出した追加情報について御説明致します。なお、より詳細な情報につきましては、先般提出しました追加情報を適宜御参照いただければと思います。既に申し上げたとおり、被害者9人の安否確認については、北朝鮮側の協力が得られないために前進が見られないだけでなく、北朝鮮側は必要な情報は既に日本政府に提供済みであるとしています。しかし、北朝鮮側が提供した情報は極めて信憑性が低く、これらをもって9人の所在を確認することはできません。この点について、改めて簡単に説明します。まず、北朝鮮側が「死亡」したとしている8名の方々について御説明致します。8名のうち、横田めぐみさん以外の7名の死亡確認書は、死亡当時の住所や死亡場所がそれぞれ異なるにも関わらず、全て同一の病院(695病院)から発行されています。7名の「死亡」場所は4つの道にまたがっており、同じ病院から発行されるのは極めて不自然であるだけでなく、死亡確認書の書式は同一であり、別々の時期及び場所で死亡した人物に対し、その都度作成された真正な「死亡確認書」と認めることは極めて困難であります。また、北朝鮮側より「死亡」と伝えられた8名の「死因」及び「死亡したとされる時点の年齢」は、通常の人間の死因及び年齢に比し、全体として著しく不自然であります。その一覧については、追加資料の別添2を適宜御参照ください。例えば、北朝鮮側によると、市川修一さんは1979年9月4日にウォンサン海水浴場で溺死したとされていますが、本人は水泳が好きではなかったにも関わらず、9月の寒くなる時期にわざわざ海水浴をすること自体が不自然であるだけでなく、当日における天候を確認したところ、午前9時における天候は曇り、気温は摂氏15度であり、波の高さは2メートル程度と、海水浴に適した天候とはとても言えません。また、増元さんは27歳で心臓病により死亡したとされていますが、同人は拉致直前の24歳までいたって健康体であり、死亡理由としては極めて不自然であります。さらには、北朝鮮側より「死亡」と伝えられた8名の遺体は、全く確認されていません。唯一、松木薫さんの遺骨と思われるとして北朝鮮側より提供を受けた遺骨は、法医学的鑑定の結果、60歳代の女性の遺骨であることが確認されています。横田さん以外の7名の遺骨は、複数の地域の墓地に埋葬されたとしているにも関わらず、一様に95年の洪水で流されたとしています。結果として、亡くなったとされる8名の遺骨は見つかっていません。また、横田めぐみさんについては、昨年10月、政府調査団がめぐみさんが「死亡」したとする病院を訪問し、許可を得て「患者死亡台帳」を写真撮影しました。しかし、この台帳はもともと「患者入退院台帳」となっていたところが「入退院」を消して「死亡」と書き直されていることが明らかです。

以上御説明しました、死亡確認書、松木薫さんの遺骨、横田さんの患者死亡台帳が北朝鮮側より提示のあった「死亡」を証明する物的証拠の全てであり、その全てにおいて信憑性に欠けるものであります。

作業部会の委員の方々、

次に、これら8件に加え、9件目の拉致被害者として作業部会における審理の対象となった、曽我ミヨシさんについて御説明します。曽我ミヨシさんは、帰国した拉致被害者の1人である曽我ひとみさんの母親であり、ひとみさんと二人で買い物から帰宅途中に被害にあっていながら、北朝鮮側は拉致の事実、北朝鮮への入国を否定しています。状況からして、北朝鮮側はミヨシさんの所在に関する情報を有している筈であり、情報提供の義務があることは明らかであります。

曽我ミヨシさんのケースに関しては、一緒に拉致されたひとみさんがメッセージを寄せられていますので、代読致します。


(曽我ひとみさんのメッセージ代読)

「 私は、1978年に北朝鮮に拉致された、曽我ひとみです。今回、私と一緒に拉致され、いなくなった私の母、曽我ミヨシのことをお願いしたくて、この文章を送ります。宜しくお願い致します。北朝鮮によって拉致されたのは、1978年8月12日土曜日、新潟県佐渡郡真野町四日町の路上で私と母は一緒に襲われて今まで母の消息は未だに何一つわかっておりません。

1978年8月12日土曜日、19時頃、家を出て私と母は近所のお店に夕食のおかずを買いに二人で出かけました。その日は、ごく普通の日を過ごし二人で出かけた買い物が母と生き別れになってしまうとは知る由もありませんでした。

私の家から、逸見商店までは、まっすぐな一本道で500メートル位離れている場所にあり、歩いて5〜6分の距離です。私の家も、お店も国道沿いです。国道沿いには四日町の家並みが続いていますが、その当時は、とても暗く、当時街灯は数少なかったので、大変暗い道でした。灯りと言えば、家並みの中の灯りがぼんやりと照らされる程度でした。最初、家を出て反対側に渡り、海側の歩道を母と一列になって歩いていました。行きも帰りも車の往来は2〜3台程度でした。

お店に着いて、お店の中には10分もいなかったと思います。品物を見ながら「あれにしようか、これにしようか?」と決めたりして、お店のおばさんと少し会話をしてお店を後にしました。帰り道も海側を歩きました。帰りは母と二人並んで歩いていました。その日の帰り道に、私と母に挨拶をしたと言う、近所のおばさんの証言がありますが、私には覚えがありません。

私と母は、買い物を終えて、話をしながら家に向かっていました。お店と家のちょうど真ん中辺りを少し過ぎた頃、国道沿いにある臼木農機具整備工場の手前、永井忠昭さんのお宅辺りだったと思います。背後に人の気配がして、私が後ろを振り向くと、男の人が3人横並びに私達の後ろをついてくるのが見えました。私と母は、その男達3人を見て「気持ち悪い、怖いね」と話をしながら歩き続けました。その後少しして、私と母が足早に歩き始めた途端、急に後ろから男達3人が、走って来て私と母は、国道沿いの臼木農機具整備工場から14〜15メートル先のお宅の敷地内にある、歩道と敷地内の境に140cm位の高さの赤い実のなる木の辺りに引きずり込まれました。

私はすぐに、口をふさがれ、手足を縛られ、袋の中に入れられました。私はちょっとは、抵抗しましたが、男性3人の力と私の力では抵抗出来ず、体をパタパタとさせるくらいしか出来なかったのです。母は襲われるまで横にいたから一緒に襲われたと思いましたが、私はすぐに、袋に入れられ担がれ、その場を去った様なので、母の気配は感じることさえも無理でした。そして、私は1人に担がれ数分運ばれて、小舟らしいものに乗せられ、しばらくして、海へ出た気配を感じました。

縛られて、袋の中に入れられたまま船の中で出発を待っている時に日本語を話す女性の声がしました。しかし、日本人ではないような気がしました。日本語の話し方が少しおかしいようでした。小さな声で話をしていたので内容は聞き取れませんでした。そして、誰と話をしているかも、その中にいる人数も、わかりませんでした。

海へ出たあと、もう少し、大きい船に乗り替えました。袋のまま船室の中の一室へ運ばれ初めて袋から出してもらいました。部屋の中からは、1日中出ることもなく、その船の中で人を見たのは、朝と昼、2回の食事を運んできた男性のみ1人だけでした。1978年8月13日、17時頃、北朝鮮の清津に到着。(13日17時頃と、時間がはっきりと覚えているのは、拉致されたとき腕時計を身につけていましたので時間は覚えています。)清津について後、招待所に移動しましたが、その責任者に母の行方を聞きましたところ「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言われました。

1978年8月12日土曜日の夜から一度も会っていない母です。並々ならぬ苦労の中で私と妹を育ててくれた母に、もうこれ以上苦労をさせるわけにはいきません。

何の消息もわかっていない母を助けて下さい。どんな小さな情報でも欲しいと言う気持ちで一杯です。今年母は72才になります。体のことが大変心配です。どうか、私に親孝行させて下さい。

皆様、どうぞ宜しくお願い致します。心より信じております。有難うございました。

曽我ひとみ(署名)」


また、北朝鮮側は、本年7月に貴作業部会に送付した書簡において、数百万人の安否不明者の存在に言及していますが、これは全く根拠のない主張であります。そもそも、貴作業部会で取り上げられている拉致のケースは過去25年ほどの間に発生した出来事であり、戦前の問題とは全く関連がありません。

作業部会の委員の方々、

本件拉致問題に関しては、関係国として英国政府及びスペイン政府が作業部会から情報提供を求められているものと承知していますが、両国政府は本件拉致問題に関し、日本政府の立場に理解と支持を表明していることをこの場でお伝えしておきたいと思います。

作業部会の委員の方々、

北朝鮮による日本人拉致問題については、昨年10月15日に拉致被害者5名が日本に帰国して以来1年以上が経過したにも関わらず、北朝鮮側は未だ5名の御家族の帰国を拒否し続け、被害者5名とその御家族は日本と北朝鮮の間で離ればなれのままという非人道的かつ異常な状況が続いており、状況が何ら改善されていないのは日本政府として極めて遺憾であります。北朝鮮側は、日本が拉致被害者5名を「強制的に」日本にとどめ置き、帰国期間を「15日間」とした日朝間の「約束」を「一方的に反故にした」旨主張しています。しかしながら、当時、日朝間において本人の意向を無視して5名を北朝鮮に返すとの約束があったわけではありません。そもそも、拉致被害者を、拉致された国に返せという主張そのものが、如何に非人道的なものか、賢明な委員の方々には御理解いただけるものと思います。日本政府としては、5名の被害者の、日本に留まり家族の帰国を待ちたいとの意向を尊重し、拉致被害者5名には引き続き日本に滞在してもらい、その御家族の早期帰国を北朝鮮に強く求めていくことを決定したものであります。また、被害者5人も、日本にとどまり家族を待つとの意思を繰り返し公にしています。

作業部会の委員の方々、

本件拉致問題は、自国民の尊厳、人権及び基本的自由が侵害されたという点において、日本政府も被害者御家族と同じ立場にあるものと考えています。また、拉致被害者5名とその御家族が、我が国と北朝鮮の間で離ればなれの生活を強いられているだけでなく、所在確認を申し立てている9名の方々の御家族にとり、9名の拉致被害者は突然失踪し、その所在確認すらできない現状を考えると、本件拉致問題はまさしく人道的問題であります。日本政府としては、北朝鮮とのバイラテラルな折衝で拉致被害者の所在確認に努めたいとの方針ですが、北朝鮮側の協力が得られないばかりに、この1年本件拉致問題が何ら解決に向け進展していないのは非常に遺憾です。ついては、所在確認に向けた北朝鮮側の誠実な対応を貴作業部会からもぜひ促していただきたいと思います。

作業部会の委員の方々、

拉致被害者の肉親は、4月の作業部会に出席された有本さんの母・嘉代子さんなど、70代、80代の方も多く、高齢化しています。子供の顔を見れないまま、既になくなられた方も多数おられます。残された時間は限られているのです。

日本政府としては、北朝鮮による拉致問題の解決に向け、最大限の努力を行っているところであり、未だ安否が確認されていない被害者の所在が可能な限り早期に確認されるよう、貴作業部会の取り組みに最大限の協力を行っていく考えです。

拉致被害者関係者及び日本政府を代表し、長時間にわたるプレゼンテーションをお聞き頂いたことに深甚な謝意を表明したいと思います。

御静聴ありがとうございました。