資料

人権の重さかみしめて
朝日新聞「報道と人権委」(PRC)
 

曽我さん家族の住所報道で臨時委員会開催

朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)は21日、臨時委員会を開き、 朝日新聞が拉致被害者曽我ひとみさんの北朝鮮に住む家族の詳細な住所を報じ、 曽我さんから抗議を受けた問題を議論した。第三者機関として、社内調査の結果 を報道と人権の視点から審議してほしいとの本社の要請を受け、緊急に開いた。 委員会には、秋山耿太郎・東京本社編集局長らの出席を求め、取材経過や社内 のチェック体制について、紙面に掲載された調査結果を中心にただした。続いて、 委員会はチェックの甘さなどを厳しく批判。住所を他紙にない新しい要素と考えて 記事にした点や、本社側もプライバシー情報への配慮が足りなかった点なども 焦点になった。また、個人情報やプライバシーとメディアのかかわりについても 議論した。

尾崎行信委員 元最高裁判事・弁護士
原寿雄委員 元共同通信編集主幹 ジャーナリスト
浜田純一委員 東大大学院教授(情報法・憲法)

チェック体制は慣れ・思い込み排せ 浜田氏
プライバシーは書かれる立場 心に 尾崎氏
取材のあり方は報道の目的 論議を  原氏

----今回の最大の問題は詳細な住所が載るのをチェックできなかったことだ。

尾崎行信委員 編集局によると、掲載されるまでにニュース価値などを判断する 部署はいくつもあるという。それぞれのチェックが緩すぎた。「前のデスクも見 ているし・・・・・・」と読み流したのではないか。弁解できない事態だ。

浜田純一委員 社内の取り決めでは、住所表記は枝番や部屋番号まで細かく記さ ないという原則になっている。なのに今回、見逃した理由の一つとして、「外国 の住所だから」が挙げられている。 しかし、情報が瞬時に地球を回る時代だ。国外と国内とでダブルスタンダード (二重基準)を設ける意識は変えなければならない。 特に社会面の記事は、個人情報の塊だといえる。神経をとぎすますべきなのに、 日ごろの慣れから、大切な個人情報を扱っているという緊張感が足りなくなって はいないか。

原寿雄委員 多くの人がチェックするようになっていると、「どこかで引っかか ってくれるだろう」という意識がお互いに出てくる。その結果、ミスが起きたの ではないか。今後どう引き締めるのか。むろん、チェックする人数は多いほうが いいこともあるが、多ければいいというものではない。チェック体制のチェック が必要だ。

浜田 支局は「拉致問題をよく知っている現場の記者が書いたのだから大丈夫だ ろう」と本社に原稿を送り、本社も「現場でしっかりやっているのだから尊重し よう」という、悪くいえば人任せな作業をしていると、本来出るべきでない情報 まで、チェックがきかないまま掲載されることになる。

----今回は、発表された情報に基づいた記事ではなかった。しかし、「発表され た情報をそのまま書いた」と思い込んだことも、東京本社のデスクがチェックで きなかった理由の一つに挙げられています。

原 日常の取材現場では、むしろ、当局は内容を選んで発表しているのではない か、という問題意識をもつことこそ、取材者側には必要だ。

浜田 たとえ発表だとしても、なんでもそのまま載せていいわけではない。発表 される内容をどこまで報道するか、する価値があるか、メディア側で判断するこ とこそ大切だ。

----個人情報やプライバシーの意識が高まってきている。住所などの報道をどう 考えるべきか。

浜田 一般の人も住所をプライバシーと考えるようになってきているのは事実だ。 住所を地番まで表記した有名人の追っかけ本に関しては、出版の差し止めにまで なっている。住所の詳細はまずは書かないというのが原則といえる。

原 住所の細かな地番までは書かないという社内取り決めを作ったときに、なぜ 全部書かないようにするか、その理由をきちんと議論し、引き継いでいないので はないか。プライバシーへの配慮からという考え方をきちんと残していれば、今 回のような応用問題に対応するときに役立ったはずだ。

浜田 住所の掲載による実害と、不快感の両方がある。地番をぼかせば少なくと も実害は避けられる。なのに、今回は、詳しく書いた。

尾崎 政府などよりずっと弱い立場である個人にかかわる場合は、報道側に、よ り謙虚さが求められる。書かれる側の痛みへの充分な配慮が必要だ。

原 個人情報保護法も契機になり、社会全体が、個人情報とは何か、プライバシ ーとは何かを考え始めている。これだけ紙面でも議論しているのだから、社内に も管理のガイドラインがあるはずだ。しかし、個人情報をどう扱うかが身につい ていないのではないか。

津山昭英・東京本社編集局長補佐 これまで、個人情報やプライバシーの問題は、 記者教育の大きなテーマと位置づけてきたつもりだ。主に事件報道に即して繰り 返し議論してきたし、ガイドラインも作ってきた。事件報道ではこれらの問題が 最も厳しく問われてきたからだ。そのガイドラインが、個々の記者に本当に身に ついたものになるよう、重い課題が突きつけられている。

----取材方法も調査の対象になった。

浜田 どこまで取材が許されるのか、法的に明確な線が引けるわけではない。最 高裁も、公的機関の守秘義務と取材活動とは対立・拮抗すると言っているように、 取材活動が広く認められる緩衝地帯がある。今回の記者も、独自のデータをとろ うと努力した。しかし、取材したことと、それを報道することとは別の次元の問 題だ。今回は、その区別があいまいだった。

 

記者が主婦と偽って拘置中の人を取材した裁判では、身分を隠して取材した方法 だけでなく、それで得た結果を報道したことと併せて、プライバシー侵害に問わ れた。 *

 

尾崎 外務省機密漏洩事件(注)では、報道の自由はきわめて厚く保護されるべ きだが、無制約とはいえないとの判断が示された。今回は、曽我さんに与える影 響に十分配慮すべき点があり、取材先の了解を得たら書いてもいい、とは言えな い。曽我さんが「どうしてくれるのか」と怒る気持ちはよくわかる。

原 一般論で言えば、報道することを事前に相手に知らせるのは礼儀、信義とし ては必要だ。今回、少なくとも曽我さんや取材先に事前に連絡する努力はすべき だった。
むろん、発表したものだけを書くのではジャーナリズムではない。たとえ「盗み 見」といわれかねない方法でも公権力の疑惑などを報道するという気構えは持つ べきだ。
そうした道義的に批判されても仕方がない取材も、目的によっては許される場合 がある。しかし、結果的に報道によって問題が起きれば、非難を甘受せざるを得 ない。報道は、細いラインの上を綱渡りのように渡っていく仕事でもある。
だが、拉致事件をめぐって報道すべきものは何か、新聞社内部できちんと議論し ていれば、今回のようなことはなかったはずだ。住所は、道義を超えてまで報道 すべきデータではない。

 

再発防止のために
信頼回復へ 基本を確認

 

----朝日新聞としての対応はどうか。

浜田 住所の掲載を見逃したプライバシー問題への認識の低さが、問題に 気づくのが遅れる結果も招いたと思う。

尾崎 曽我さんとよい関係に戻れるよう、引き続き努力してほしいと思う。

----最後に一言ずつ。

原 世間の目から見て一言で言えば、たるんでいる、ということになるだ ろう。結局は一人ひとりの問題だ。そこから再出発することだ。

尾崎 たしかに緊張感が足りなかった、と言うほかないと思う。

浜田 膨大な日々の報道の中での一つの過ちだったとはいえ、当事者にとっ ては、その一つひとつこそが大切だ。こうしたことが起きたのは、きわめて 残念だ。

秋山耿太郎・東京本社編集局長 本日いただいた真摯な議論を踏まえ、再発 防止の手立てを考えたい。何よりも取材や報道、デスクワークの基本を再確 認し、気持ちを引き締め直す作業が必要だと感じている。 取材先との信頼関係を維持する努力とともに、原稿のチェックに当たっては、 書かれる立場への配慮が欠かせない。曽我さんやご家族の置かれている立場 への想像力、気遣いが足りなかった。デスクや記者を対象に、人権・プライ バシーの重さを1人ひとりが肌で感じられるような研修をしていきたい。信 頼される新聞づくりに向けて、改めて努力する。

*(注)外務省機密漏洩事件 72年、沖縄返還交渉をめぐる日米密約にかか
わる極秘電文を同省の事務官から入手した新聞記者が逮捕された。一審は取
材目的は正当として無罪。最高裁で、正当な取材活動を逸脱しているとして
有罪が確定した。

 

 

報道の経緯 本社調査 

資料を断りなくメモ、記事に 曽我さん家族の住所報道
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拉致被害者曽我ひとみさん=新潟県真野町=の北朝鮮に住む家族の詳細な住所を朝日新聞が報じた問題で、本社は17日、報道の経緯の調査を終えた。その結果、本紙記者が取材先に断りなく資料をメモし、記事にしていたことが分かった。

 調査によると、曽我さんのもとに北朝鮮から手紙が届いたというニュースが、13日付の他紙朝刊で報じられた。本紙記者は同日朝、このニュースを追うため、真野町内の取材先を訪ねた。取材先は机の上にファイルを広げ、報道機関からの問い合わせなど、電話の応対に忙殺されていた。ファイルには封書の表書きのコピーがあった。

記者は取材先の横に立ち、差出人の住所などをメモした。取材先はそれまでの記者との信頼関係から、書き写されたり報道されたりするとは全く思っていなかったという。

 記者はいったん部屋を出た後、再確認するため再び入室。別の人しかいなかったが、机の上にあったファイルで無断で照合して、メモを手直しした。メモの内容を記事にすることについて取材先の了解を取っていなかった。

 記者は、北朝鮮の家族の住所がこのニュースを先行して報じた他紙にない新しい要素であり、手紙が間違いなく家族から届いたことを示すデータになると考え、原稿を書いた。

 記者が書いた原稿は、新潟支局でチェック役のデスクが目を通した後、東京本社に送られ、複数のデスクを経て13日付夕刊に掲載された。

 本社ではプライバシー保護のため、住所を記事にする場合は基本的に細かい地番まで記していない。しかし、外国の住所だったこともあり、プライバシーに思いが至らず、詳細な住所がそのまま紙面化されてしまった。

 東京のデスクらには、この住所にかかわる部分が本紙記者による独自取材の結果という意識はなく、発表された情報をそのまま書いたと思いこんだ。

 取材から紙面化に至るまで、この住所記載で曽我さんと家族に重大な不利益が生じる可能性があることに気づき、指摘する声は出なかった。

 調査チームは、曽我さんが抗議文を本社に寄せたのを受けて14日に発足。取材した記者本人、取材先、原稿に目を通した社内の関係者からの聞き取りや照合など検証活動を進めた。この調査結果は、本社の報道による人権侵害の救済を図る組織として社外委員で構成する「報道と人権委員会」に報告。第三者の目で再点検してもらうことにしている。

 

◆曽我さんの苦しみ、心に刻む 東京本社編集局長・秋山耿太郎
 今回の記事は、何よりも曽我さんとご家族の置かれた立場に対する配慮を欠いたものでした。取材の仕方についても、取材先の信頼を損ねる行為がありました。

 曽我さん、取材先、関係者の方々に重ねて深くおわびするとともに、今後こうしたことを繰り返さないよう全力を尽くします。

 曽我さんは、北朝鮮のご家族との連絡が途絶えてしまうことを大変心配されています。その苦しみを私たちの心に刻み、曽我さんをはじめ拉致被害者の方々がご家族と一日も早く再会できるよう、拉致問題の報道に取り組んでいきます。 (05/18 03:10)

 

朝日新聞平成15年5月25日号