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座談会 日朝首脳会談どう評価するか 国益の反映不十分
 


 小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記の初の日朝首脳会談は、金総書記が日本人拉致を謝罪するとともに、国交正常化交渉の再開で合意した。ただ、拉致事件の全面解決にはほど遠く、ミサイル・核開発疑惑など残された課題も多い。会談をどう評価するか。今後の交渉の行方はどうなるか。朝鮮半島問題が専門の伊豆見元静岡県立大教授、福田康夫官房長官と拉致被害者家族との面談にも同席した現代コリア研究所の佐藤勝巳所長、安全保障が専門の森本敏拓殖大教授の3氏に聞いた。(聞き手 北村経夫政治部長)
                

 静岡県立大教授    伊豆見 元
 現代コリア研究所所長 佐藤 勝巳
 拓殖大教授      森本  敏
         敬省略、50音順


 −−今回の訪朝は八人の死亡が確認されるという悲劇的な結果に終わったが、首相の訪朝の決断は正しかったのか

 森本 従来の日朝交渉が拉致事件を軸に行き詰まっていた。最大の原因は意思決定が最高指導者しかできないという北朝鮮の体質にある。これを打開して、拉致事件解決を望む日本の国内世論に何とか応えようとした首相のアプローチは、その限りにおいて正しかったと思う。一方、北朝鮮は米国がイラク作戦の次の標的にするかもしれないと強く懸念していた。かつ、日本からの資金の凍結という問題が北朝鮮の体制を非常に困難な状態に陥らせており、工作船が引き揚がってきたら、日本が北朝鮮を非難せざるを得ないという微妙な時期だった。日朝別々の動機だが、首脳会談をやってトップダウンでものごとを解決しようという意思が一致して会談が実現したと思う。行き詰まった問題を打開するために、日本側からみればやむを得ない措置だったと思うし、小泉首相という特殊なキャラクターだったので実現できたといえなくもない。


 ◆佐藤・拉致謝罪なぜ盛らぬ

 佐藤 森本さんがいったようにトップでないと解決しない国だから、トップ会談をセットしたという狙いはよかったと思う。けれど、発表された平壌宣言を読むと、拉致事件で八人が亡くなったという結果とちょっと違うぞという感じが強い。拉致された人が命を絶たれているということがこの平壌宣言にはほとんど反映されていない。金正日総書記が遺憾だったとおわびしたというなら、その文言は宣言の中に入るべきなのに入っていない。そもそも拉致はテロであり、主権侵害を事実上認めたということだ。それを何で宣言に押し込むことができなかったのか。国民の感情も利益も十分に反映していないという意味で、トップが会うことはよかったが、中身は非常に不満だ。少なくともわが国の利益を十分に反映した宣言ではない。
 そういう問題があるにもかかわらず、財産請求権をお互いに放棄して経済援助をしますよということになっている。主権を侵害した政権・国家に経済援助をするのは間違いではないか。制裁を加えるというならわかるが、援助するという意図がわからない。中身は成功ではなかった。


 ◆伊豆見・「安保枠組み」は前進

 伊豆見 拉致事件については不幸な結果に終わり、今後詰めていく問題があるので、その点は留保しないといけない。しかし、それ以外の点では評価する。その大きな理由の一つは、平壌宣言のなかで安全保障上の枠組みをつくったことだ。あくまでスタート地点に立ったに過ぎないが、今後、再開される日朝交渉はこれまでとは性格が変わってくると思う。北朝鮮はこれまで拉致や安保問題で逃げまくり、核やミサイルの問題は日本ではなく米国と話すと言ってきたが、今や日本で関心の高い拉致と並んで、安保問題でも面と向かって議論せざるを得ないところまできたので評価できる。実際に履行されるかどうかが大事だというのはその通りだ。北朝鮮が安保問題で逃げるのはあり得るが、安保問題を重要なアジェンダとしたことを積極的に評価したい。次の正常化交渉からどうなるか注目したい。

 森本 拉致事件の結果は予想だにしない深刻な内容だった。首相を含め、日本の交渉者、日本社会全体が予想していなかっただけでなく、北朝鮮側も読み違っていた。口頭であれ、非を認めて安否の情報を提供したら日本側はそれで納得してその後のプロセスに進めると考えていたが、日本側は北朝鮮の残酷なやり方に怒りをおぼえ、北朝鮮への悪感情が広まる結果となった。
 近年の外交交渉で今回ほど世論が大きな影響を与えたものはない。国交正常化交渉を再開することは国民に率直に受け入れられない側面が強い。問題は今後の交渉で事件が再発しないことが事実行為として示されるかどうかだ。今回の会談だけで北朝鮮が前向きな姿勢を示したと評価するのは時期尚早だ。


 −−十七日の本紙電話調査によると約七割が首相訪朝を評価したが

 森本 閉ざされた社会を開き、悪かったことを認めるという糸口を開いた決断への評価だと思う。ただ国民は北朝鮮の体質を思い知らされたというネガティブな印象を深くしたのではないか。


 ◆佐藤・北の転換、不信さらに

 佐藤 結果はひどいが、今までわからなかった拉致の実態が明らかになったことで、首相に一定の役割はあった。
 だが、八人は亡くなっている。拉致事件について北朝鮮の文献は「韓国安全企画部のでっちあげ」「日本と安企部のでっちあげ」「『日本反動』がやっている」「日本政府が拉致問題を利用して戦前の植民地支配をないものにしようとする遠謀」と主張を変えている。ところが、今度は百パーセント拉致を認めた。今までの主張はどうなのか。ますます不信感が強まった。
 福田康夫官房長官は十七日に拉致家族に対して「朝鮮赤十字会から出てきたもの」というメモを読んで生死を宣告した。朝鮮赤十字会は「統一戦線部」の一部だ。そこが出すメモで生死を宣告するのは軽率で危険だ。北朝鮮が安否確認で横田めぐみさん、有本恵子さんなどを「死亡」とするのは朝飯前だ。そうやって経済援助をもらって一件落着ということを平気でやる国だ。北朝鮮の実態はまったく違う。首相はだまされたというしかない。


 −−八人の死亡情報を事前交渉で外務省が入手できずに首相を訪朝させた責任と、平壌宣言に日本側の謝罪はあるものの、「拉致」という文言が入っていないという問題がある。日本側の対応に甘さがあったのでは

 ◆森本・バランス欠いた交渉

 森本 今回の交渉には過去の清算と安全保障という二つの軸があった。前者には拉致があり、後者には核やミサイルの開発など安全保障の問題があった。午前中の会談で拉致事件について予想外の悲惨な結果が伝えられたので、この問題にもっぱら焦点があたって、全体がバランスの取れないものになった。
 安全保障ではほとんど宣言の内容に目新しいものはなく、「ミサイル配備が日本に深刻な懸念であった」と首相が会談で発言したはずだが、宣言文には一言もない。工作船問題も「軍部の一部の行動だ」という責任逃れだけで、再発防止の適切な措置も具体的にわかっていない。

 伊豆見 経済協力に関する内容が向こうのペースになっているという批判は確かにそうかもしれない。しかし、それは必要なことだ。北朝鮮に譲歩させるためには、譲歩した場合にどんな見返りがあるのかを示す必要がある。日本も北朝鮮を約束を破る相手と思っているかもしれないが、北朝鮮の目からみれば日本は果たして補償を出してくれるのか、はしごを外されるのではないかと思っている。これだけの補償を出しますよと細部にわたって言ったことが信頼を増すことにつながる。そうなると、本当に(補償が)ほしいなら、譲歩しなければだめですよとこっちから言えるようになる。

 森本 安保に関し、地域の信頼性をはかるための枠組みというのは、首相の会見によれば、北東アジアの多国間協議の枠組みだ。日朝二国間の国交正常化交渉でどういう問題を主体的に取り上げるかということについては、必ずしも宣言の中で明記されず、ただ、交渉が進めば経済協力するという「与える」ことだけが細部にわたって書かれているという印象を持った。


 −−短い滞在時間で、宣言文は交渉前にほとんどできていたと考えるべきか

 森本 宣言の内容は日朝の要望がバランスの良いものにならなくてはならないが、国交正常化交渉が始まる前から経済協力の枠組みが事細かに載っているのは非常にバランスを欠いた感がある。在日朝鮮人の地位や文化財に関することなどでも北朝鮮側の要望を受け入れたものになっている。日本側が一連の問題でどう主張したのかはっきりわからない。あえていえば、安全保障の問題について双方の信頼醸成をはかるといった点ぐらいが、日本側の要求が通った点だ。日本側は今回の首脳会談で糸口を開こうとすることに全力をあげ、北朝鮮側は自分たちの要望をいかに売り込むかと努力している。

 佐藤 日本政府には会談をまとめようという大前提がある。これまでそれで全部失敗している。まとまらなくてもいい、こちら側の主張をどんどん出して、共同宣言なんか出なくていいんだという構えが欠けている。北朝鮮という特定の相手と対応するときには、まとめようなどと考えるべきでない。決裂しそうになれば、相手は「ちょっと待ってくれ」ということになる。お金が欲しいから、決裂したら困る。北朝鮮を相手にするときは決裂覚悟という姿勢が必要だが、今回も欠けていた。「最初に合意ありき」だと、外交交渉にならない。


 ◆森本・米国の方針見極めを

 −−安全保障問題の今後の見通しは

 森本 安全保障の問題は日朝協議ですべてを解決するには無理がある。米朝協議の枠組みがあり、日本が米国に委ねる部分、日朝間ではどういうことができるかを仕切るべきだ。米国は現在イラクを最優先しているが、北朝鮮の現政権を将来的にどうしようと考えているのかという長期的なもくろみを理解せずに、北朝鮮に塩を送ることは日米関係そのものも破滅に追いやる危険性すらある。戦略がないまま、日朝交渉全体を進めるべきでない。日朝間でできることは何なのか仕切りもないまま交渉を進めたため、抽象的かつ総花的になり結局は何も北朝鮮は譲らず、安全保障では何も進んでいないような結果になってしまった。


 −−国民には「国家テロを認めた国に経済協力をして、ミサイル開発などに使われないか」という懸念がある

 伊豆見 それは正しいが、経済協力は国交正常化後に行うもので、北朝鮮が大きく変わっているのが大前提だ。そこは日本政府も十分考えていると思う。


 −−今後の日朝交渉の進め方は

 佐藤 交渉と並行して一定の制裁を準備しておかないといけない。こちら側の要求はこうで、要求をのまなければ制裁も辞さずという姿勢でやらないといけない。そういう抑止の背景のない交渉はまったく意味がない。その決断が小泉政権にできるのか不安だ。制裁を背景にした交渉は絶対に必要だ。

 森本 国交正常化交渉は、今までの日朝交渉の経験に照らすと、相手の交渉者がどれだけ金総書記から権限を与えられているかによって決まるだろう。権限を十分に与えられていない相手と交渉してもいずれは行き詰まる。根っこには日朝間に不信感が存在するので、相手を信頼してすべて対応するというふうにはなかなかならない。相手が交渉の途中で席を立ったことが何度もある。南北間の会談も実務レベルになると行き詰まった。スムーズにいかないたびに、打開のための首脳会談をやらないといけないという事態が絶えず起こる。工作船のような問題が再び生じることがないよう適切な処置をとられるかも見極めるべきだ。
 考えないといけないのは、米国が北朝鮮を長期的にどのようにしようとしているのか見極めないで日朝間で交渉を進めていくのは大変、危険が多いということだ。

 佐藤 交渉を推進するにあたって米朝を念頭に置くこと。とりわけ米国の対北朝鮮政策と調整することは大賛成で必要不可欠だと思う。


 ◆伊豆見・ミサイルの規制急げ

 伊豆見 最終的に国交正常化に至ればいいが、正常化するんだということでやる交渉ではない。関心があるのは懸案処理で、そのかなり大きな部分は安全保障問題だ。この点では米国と日本はほとんど一致していると思う。大量破壊兵器の分野にとどまらず、通常兵力にもコミットしようという意図がありそうで、日米が完璧(かんぺき)に一致してやれると思う。
 ブッシュ政権はクリントン政権と違い、アプローチとして一方的な譲歩を求めるタイプになっている。クリントン政権の後半は「相互に脅威を削減しよう」だったが、ブッシュ政権はひたすら「北朝鮮だけが脅威を減らせ」といっている。核兵器を中心に通常兵力にまで圧力をかける。日米の要求には全然差がないと思う。
 北朝鮮を完全に非核化することが重要で、ミサイルについても同じことが言える。米国の関心はミサイル輸出をどう規制するかだ。開発や配備をどうするかの話も日米が二人三脚でやれる。後は化学兵器だ。国交正常化交渉と別枠の安全保障対話は、北朝鮮の軍事脅威をどう減らすかという話でやる。この面で日米は緊密な連携を保って北朝鮮の変化を誘導できると思う。六カ月から一年間の短い間にやる必要があると思う。


 −−北朝鮮の対米カードに日本が影響力を持てるか

 伊豆見 北朝鮮の対米カードは米国がリターンを与えるときに効果がある。今のブッシュ政権には刃向かうとたたかれる危険だけなので、対米カード自体通用しない。
 森本 日本はこのような安全保障の話をしたことがない。そのためには政府部内が一致協力しないと。外務省の外交当局者だけではなかなかできない。米国の情報に頼りすぎていることも問題。同盟国とはいえ、情報が操作されている場合もあり、米国の真の意図を理解しないと非常に危なっかしいことになる。北朝鮮の交渉者はたけているので、日本側は相当勉強してからでないと危ない。北朝鮮は早くやりたいというインセンティブがあり、時間はわが方に有利だ。


 −−今後の交渉で拉致事件をどう扱うか

 佐藤 政府が認めている八件十一人ははっきりしてきたが、そうでない人が何倍もいると推定されている。日本の領土から拉致されたと推定されている警察庁の数字は四十八人。そこから(今回、安否が判明した)十人を除くと三十八人。それから「よど号」グループがヨーロッパをはじめとする外国から連れていった人たちがだいたい二十人ぐらいいると専門家が言っている。この問題は依然として大きな課題として残り、引き続き追及しないといけない。
 八件十一人の安否を北朝鮮が答えてきたのは、ブッシュ米大統領が半ば公然と「イラクの次は北朝鮮」と言っており、北朝鮮では安全保障のために日朝関係と南北関係が必要であるという大枠が決まっているために、今回のような事態になった。その点では米国と連携しないといけないが、日本は独自で相手側に言うことを聞かせるカードをたくさん持っている。船の入港を規制したり、在日朝鮮人の再入国許可に規制を加えたら向こうは本当に困る。そういうカードをもっていながら、使おうとしない姿勢が最大の問題。それには、勇気と決断しかない。日本の外交に欠けるのはこの一点に尽きる。


 −−北朝鮮の今後の出方は

 伊豆見 安保面、特に大量破壊兵器では折れるしかないのではないか。米国の前にはどうしようもないことに加え、日本の圧力も加わってくる。

 森本 北朝鮮と友好関係を持つには高いハードルがある。まず、大量破壊兵器の開発中止、査察受け入れ、施設廃棄を行い、普通の国になることだ。そうでないと「悪の枢軸」から排除されない。第二に南北対話が日朝と同じレベルで進むこと。拉致事件、工作船など日本の安全保障面での懸念が払拭(ふっしょく)されなければならない。


 −−北朝鮮側が折れれば、国交正常化交渉はまとまるか

 伊豆見 「べた折れ」すれば、二、三年でまとまる。

 森本 あと一年半。二〇〇四年の米大統領選挙までにイラクが片付けば次は北朝鮮になる。


                
 《伊豆見元》
 いずみ・はじめ 静岡県立大学教授。上智大学大学院修了後、韓国・延世大学に留学。平和・安全保障研究所主任研究員も務めた。著書に「ポスト冷戦の朝鮮半島」など。 

 《森本敏》
 もりもと・さとし 拓殖大学国際開発学部教授。防衛大学校卒。防衛庁勤務を経て、外務省安保政策室長、野村総研主席研究員を歴任。著書に「安全保障論」など。 

 《佐藤 勝巳》
 さとう・かつみ 現代コリア研究所所長。日朝協会新潟県連事務局長、日本朝鮮研究所事務局長などを歴任。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」会長。

 

[産経新聞 2002年09月19日 東京朝刊]