(産経新聞03年1月1日社説)
「非行動主義」から決別を
平成十五年(二〇〇三年)の幕開けによって、嘉永六年、米国ペリー提督率いる東インド艦隊の来航で日本が開国を迫られて以来、百五十年目を迎えた。江戸開幕から数えれば四百年目である。
幕藩体制による一種の小国際社会の中で「鉄砲抜きの平和」を享受してきた江戸日本は、黒船来航をきっかけに、もう一つの外部世界の存在を知らされると同時に、国際社会の権謀術数の世界に巻き込まれるという大変革に晒(さら)された。その意味で黒船来航は、波濤(はとう)を越えてやってきたあの時代のグローバリゼーションのうねりであった。
≪再び訪れた重大な危機≫
「百五十年も戦争をしないで、国が豊かで社会保障が行き届くと、男性というのはかくも女性的になってしまうのだろうか」(「未開の顔・文明の顔」)と若き日に北欧のある国の男性の魅力の無さを指摘したのは社会人類学者、中根千枝東大名誉教授だが、今日的表現としては男性に覇気が感じられないということであろう。
まして黒船来航は江戸時代二百数十年の「鉄砲抜きの平和」のあとの巨大外来勢力との遭遇であった。武士は武器の手入れを怠っていたため、武具馬具屋が大繁盛したとあるから、その驚きあわてぶりが知れる。国論は「尊皇攘夷(じょうい)」と「佐幕開国」に二分されたが、強大な列強を前にして「尊皇開国」が大勢となり、明治国家成立を迎えた。このあたりの伝統と進取の結合は日本という国の日本たる所以(ゆえん)であろう。
ともあれ日本はアジアで最初の近代的国民国家の形成に成功した。今にして思うのは、鎖国に象徴される「非行動主義」の江戸日本がよくも積極かつ行動的な明治日本に転換できたものだということである。「廃藩置県」のような構造改革は現状を打破する強い精神の力なしには達成できない。
≪必要な現状打破の試み≫
翻って今日の日本を考えてみよう。ふたたび日本は関ケ原のあとよろしく戦後の天下泰平のもとで「非行動主義」に漬かりきっている。この「非行動主義」が今の日本に無力感をもたらしている。いわば喪失と敗北の季節に為政者も経営者も多くの国民も精神の逃亡者に成り果てているのではないか。少なからぬ知識人はニヒリズム(虚無主義)に浸り、経済評論家は一様に「敗北の歌」を奏でている。換言すれば総動員態勢で閉塞(へいそく)感を拡大再生産させている。
能動的行動に対して興味や関心を失った状態に陥って身動きできないのが、今の日本の実態であろう。
それだけに、それを打破する動きに視線が集まるのは自然である。石原慎太郎都知事が光彩を放つのは、なによりも精神の自律を保ちつつ現状打破に動いたからにほかならない。横田基地や銀行税でみせた「行動主義」は「敢為の精神」が生み出したものであろう。次元は異なるが横田早紀江さんや蓮池透、地村保氏らの拉致家族へ耳目が集中したのも、単に気の毒な被害者だったからだけではない。困難の中で国に頼りきることなく、自らの行動を選択していく彼らの志に多くの国民が感銘を覚えたからであろう。
悪しき例かもしれないが、外相だった田中真紀子氏が一時、驚くほどの脚光と支持を集めたのも針の穴にラクダを通そうとするような官僚制度改革の試みに拍手を送った有権者が多かったからだ。
共通項は何ものかと「戦い抜く姿勢」である。
黒船来航以来、百五十年目の現代の日本もまた、国際テロリズム、あるいはイラクや北朝鮮の核の脅威といった圧力によって巨大な変革期に直面している。核開発問題では今や唯一の超大国からさらに強大化した米国に全面的に依存しなければならない立場にある。といって不作為を繰り返せば「非行動主義」からの決別はできない。エンジン故障をおこしたクルマにただ座っているだけでは、前進しない。車外に出て押すなり、引っ張るなりの現状打破の行動を起こさなければ事態の次なる展開は期待できない。
この間、日本経済の停滞のスキを突くように、中国の台頭が著しい。中国はまず、南進して東南アジア諸国と貿易協定を結んで大中華経済圏に引き入れ、次いで東方を狙う中国型グローバリゼーション戦略を展開し始めた。
≪迎えた歴史的挑戦の機会≫
いま必要なのは国家の戦略的なありようを徹底的に磨き上げることであろう。課題は二つある。日本国あるいは日本国民たりえようとする精神の欠落を克服するためにどういう日本でありたいのか自己目的を明確化させることである。
そのためには、歴史の中から日本のよき部分を抽出し、現代に適合させる日本型保守革命の道を探ることだ。これを土台に、日本は米国やオーストラリアなど太平洋国家とも協調して、アジア地域において確固とした存在感を示していくことではないか。
いま一つは日本国あるいは日本国民が当事者意識を取り戻すことである。日本経済の活性化の道にしても、議論百出にくらべて当事者意識を持つ人の何と少ないことか。「秩序の創造者」としての技の蓄積を持たぬ日本には重い課題には違いない。
デフレの進行と金融システムの不安定、米国のイラク攻撃、北朝鮮の無法化など日本にとって重大な決断を強いられる事態がさらに切迫しよう。
平成十五年は、日本が他者依存の「非行動主義」を放棄すべき大いなる選択の年としなければならない。