北朝鮮と国交交渉――体制転換を望めばこそ

(朝日新聞02年12月28日社説)



平壌で日朝首脳会談が行われてから間もなく3カ月になる。
小泉首相と金正日総書記が再開に合意した国交正常化交渉は、拉致被害者5人の家族の帰国をめぐり、入り口で行き詰まってしまった。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発で米朝対話は止まり、北朝鮮への重油の提供も凍結された。事態は深刻である。
「5人生存、8人死亡」。拉致に関する北朝鮮の説明は、日本国民の心にすさまじい衝撃を与えた。被害者と家族への同情。みずからの国家犯罪について謝罪したとは思えぬ北朝鮮の態度に対する怒り。そうした感情が日本列島全体を覆ったかのような日々が続いた。
同時に、拉致や核開発の背景にある北朝鮮の特異な体制や悲惨な国情に、多くの人々が関心を向けるようになった。

●国益から考えるとき

北朝鮮とどう付き合い、どういう隣人になってもらうことが日本の利益にかなうのか。冷静に考える時だと思う。
北朝鮮は危ない国である。
金総書記の独裁と個人崇拝の下で自由は圧殺され、経済は崩壊のふちにある。
一般国民が食糧難や貧困にあえいでいるのに核兵器やミサイルの開発を続け、それをテコに日米韓などの諸国から支援を取り付けようという瀬戸際外交を続けている。
多数の国民が政治犯として強制収容所に拘束され、韓国からは約500人が拉致されたといわれる。
朝鮮戦争は終わっておらず、日本も植民地支配の清算をしていない。米国や日本、韓国からの脅威に備えるというのが北朝鮮の言い分だろう。
しかし、だからといって異常な国家運営を正当化できるものではない。
北朝鮮の体制を変えさせ、民主的な社会、開かれた経済、人権を根付かせることが北朝鮮国民の利益であり、日本を含む東アジアの利益である。疑問の余地はない。

●対話で変化を迫る

問題はそのための方法である。
米政府は軍事力で体制を一気に倒すことを検討したことがある。94年春、北朝鮮の核開発を阻むためだったが、直前で思いとどまった。
米韓両軍に50万人を超える死傷者、さらに南北の一般市民に膨大な犠牲者が出るというのが当時の試算だった。そんなことができようか。
いま、北朝鮮に強硬な態度を貫いてさえいれば、いずれ体制は倒れるという議論が聞かれる。
だが、追いつめればそれで問題が解決するほど、ことは簡単ではない。
90年代前半から、北朝鮮は数年で自壊するという予測が数多く行われてきた。現実はそうはならなかった。いまも体制崩壊の顕著な兆候は見えない。
北朝鮮の行き詰まりを考えれば、ある日突然体制が崩壊する可能性もないわけではない。だが、それは別の危険をはらむ。
国内が大混乱すれば影響は朝鮮半島全体、さらには日本に及ぶ。軍が自暴自棄の行動に出たらミサイルが発射されることもありえよう。難民が大量に押し寄せるかもしれない。
そうであれば、とるべき道は限られてくる。軍事的暴発の危険をおさえつつ、将来の体制転換に向け、硬軟両様の手段で改革、開放を促し続けることである。危ない国の危なさを抑え込みながら、危なくない国への変化をできるだけ早めるのだ。
苦境の北朝鮮が徐々に国内改革と対外開放へ向かおうとしている兆しはあった。それを促すのだ。そうすれば、時間はかかっても体制の転換へと結びついていく。
経済援助もからむ国交交渉を、そのためにこそ利用すべきではないか。加えて北朝鮮に核開発の放棄を求めるテコともしなければならない。
日朝の早期正常化の見通しが消えたいま、北朝鮮にとって交渉を急ぐ理由は薄れたとみるべきだろう。だが、日本から経済協力をとりつけることの重要性が減ったわけではない。
少なくとも、対話を維持する方が閉ざすよりも害は少ないのだ。

●感情論だけでは危ない

5人の家族の帰国問題をどう解決するか、答えは簡単でない。当事者の気持ちに日朝それぞれの原則論やメンツ、駆け引きも絡んで時間はなおかかるかも知れない。
大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではないということだ。感情論に乗るだけでは真の国益を踏まえた外交にはならない。
北朝鮮の視線はイラク攻撃を構える米国に注がれているに違いない。
ブッシュ政権は北朝鮮への軽水炉提供事業の停止を主張している。北朝鮮を追いつめすぎないよう慎重な判断を求めるべきだろう。
日米韓の枠を超えた幅広い国際協調も欠かせない。中国とロシアは先の首脳会談で朝鮮半島の非核化を共同宣言に盛り込み、北朝鮮の核開発を批判した。
小泉首相は両国に対して、北朝鮮への外交圧力をさらに強めるよう働きかけるべきである。北朝鮮と国交を樹立した英国などの欧州諸国やカナダにも協力を求めたい。
拉致への日本国民の怒りは、北朝鮮にとっては大きな誤算だったろう。日本政府にとっても予想を超えるものだった。
世論が外交を突き動かす。それは必ずしも悪いことではない。
しかし、感情的な世論にあおられて冷徹な国際感覚を失うなら、外交は失敗する。それを歴史が繰り返し証明している。