|
拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者(1000番台リスト)
|
 |
1953年
●徳永 陽一郎(とくなが よういちろう)
生年月日 :昭和10年(1935)1月14日
失踪年月日 :昭和28年(1953)10月7日
失踪当時の年齢 19歳
当時の身分 :染料店店員(配達)
当時の居住地:長崎県長崎市
失踪場所 :長崎市の家を出て
失踪当時の状況 :新しい仕事の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店にとりに行く前に失踪した。10月7日に門司から書留が届く。家族から借りていた1500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。(04/05/22第5次発表) |
 |
1960年
●木村 かほる
生年月日 :昭和13年(1938)8月27日
失踪年月日 :昭和35年(1960)2月27日
当時の身分 :日赤秋田高等看護学校3年生
当時の居住地:秋田県秋田市
失踪場所 :秋田県秋田市
失踪当時の状況 卒業試験を2日後、卒業式を10日後に控えていた。寮の部屋から午後2時過ぎに「ちょっと出かけてくる」と出て行ったまま失踪。同室の学生は「海へ行く」と聞いたような気がするが確信はない。寮の身の回りのものはかたづけられたり持ちだした形跡なし。当日は雪が降ったりやんだり曇ったりの天候だった。
・ 29日(月)卒業テストを欠席。
・ 3月1日(火)昼頃寮長より実家(八戸)の母へ電話。
・ 3月2日(水)母が朝7時半八戸を出発。4時秋田に着く
・ 3日(木)秋田署に捜索願を出す。
2月27日に同室の寮生は「保証人のところに行った」と報告。寮長は家族に「保証人のところに行くはずはないので嘘だと分かっていた」と言っている。家族が捜す過程で男鹿半島の漁師に「不審船が出没しているから北朝鮮に連れて行かれたのでは」と言われた。また秋田警察署では「同じような神隠し事件が続いている」と言われた。(04/07/29第6次発表)
1000番台リストに入れた根拠
●これまでの調査で突然失踪する理由が全く見当たらない
●看護師の失踪は多く、政府認定者には曽我ひとみ、すでに1000番台に入れている失踪者にも国広富子らがいる
●朝鮮からの引き揚げ者であり、地域的なつながりがある。
●3年後に能代市で工作員の漂着死体が発見される、通称「能代事件」が起きており、地域的にも工作員の出入りの多い地域である。
関連記事
Web東奥 迷宮の行方
(3)木村 かほるさん(八戸出身、1960年 秋田で)/卒業直前、寮出たまま
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2003/meikyu/1216.html |
|
|
1961年
●加瀬 テル子(かせ てるこ)
生年月日 :昭和19(1944)年5月4日
失踪年月日 :昭和37(1962)年3月頃
失踪当時の年齢 17歳
当時の身分 :家事手伝い
当時の居住地:千葉県海上郡海上町(かいじょうぐん うながみまち)
失踪場所 :千葉県海上郡海上町
失踪当時の状況 :失踪当日、叔母と、翌日に新宿コマ劇場へ観劇の約束をし、午後パーマに行ってそのまま戻らなかった。パーマ屋では、観劇を楽しみにしていると本人が語っていたとのことで、自らの失踪とは考えられない。
当時の海上町周辺は、砂鉄、水あめが大きな産業であり、在日の企業・従事者が多かった。そして、それらは「大町ルート」によって、新潟、富山へ輸送され、北朝鮮に輸出されていた。その「大町ルート」で多くの失踪事件が発生している。また近隣の旭市、飯岡市、八日市場市周辺で失踪が多発しており、それらは相互につながりが有ると見られる。(04/05/22第5次発表)
|
 |
1965年
●坂本 とし子(当時22歳)
生年月日 :昭和17年(1942)年11月22日
失踪年月日 :昭和40年(1965)6月9日
当時の身分 :家事手伝い
当時の居住地:東京都北区
失踪場所 :自宅を出て
失踪当時の状況:自宅から20分くらいの編み物教室へ行くといって普段と変わらなく家を出て失踪。実家は浴場業を経営しており、東十条と千葉にお店があったので2件のお店を行ったり来たりして手伝っていた。お見合いで話がまとまり秋には結婚かという状況で本人も嬉しそうにしていた。 (04/07/29第6次発表)
1000番台リストに入れた根拠
● 失踪する理由が存在しない。
● 失踪者の多い川口とも隣接している。
● 目撃証言がある(亡命者朴ミョンホ氏、TBSが取材し、6月下旬、お姉さんが訪韓し面会)
関連記事 「報道特集」 |
 |
1968年
●水島 慎一 (みずしま しんいち)
失踪時期 1968年2月9日
失踪当時の年齢 18歳
失踪した場所 北陸・富山県新川郡朝日町宮崎海岸
失踪当時の身分 高校3年生
失踪当時の状況 高校3年の学期末試験最終日、お昼ごろに帰宅し、自宅から歩いて5分の海岸にバットの素振りをしてくると出かけたまま失踪。高校卒業後の就職も決まっていた。夕方5時を過ぎても戻らないので、父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。その日は海はベタ凪で、水島さんは遠泳の名手であり、溺れた可能性はない。
|
 |
1968年
●斎藤 裕 (さいとう ひろし)
失踪時期 1968年12月1日夜8〜9時頃
失踪当時の年齢 18歳
失踪場所 北海道稚内市内
失踪当時の身分 高校3年生
失踪当時の状況 友人宅を訪ねた帰りに、浜の方へ行くと言ったきり消息を絶つ。就職も決まっていた。 |
 |
1968年
●屋木 しのぶ(やぎ しのぶ)
生年月日 :昭和23(1948)年1月27日
失踪年月日 :昭和43(1968)年1月18日
失踪当時の年齢 19歳
当時の身分 :美容師。美容学校卒業後、インターンとして美容院(東京都立川市、富山
県入善町青木)で働いていた。
当時の居住地:富山県下新川郡入善町
失踪場所 :富山県下新川郡入善町
失踪当時の状況 :失踪当日、勤め先の美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。帽子と靴下ができ上がり、夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった姿を叔母が見送ったのが最後。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。いとこの嫁には、いなくなった次の日に富山市内に
遊びに行こうと誘っていた。失踪当日は大雪だった。
すでに1000番台として発表している水島慎一さんの失踪のおよそ2週間前に失踪。場所は水島さんが失踪した朝日町の隣の入善町である。さらに2人の失踪の1年前にも、屋木さんのいとこ(女性)が経営していた編み物教室に来ていた二人の女性が、編み物教室が終わり道に出たところ、トラックが近づいてきて荷台にいた男性数人に引き上げられそうになったという未遂事件が起きている。
以上のように、他の失踪事件との時期・場所の類似、また北朝鮮工作員の侵入地点(水中スクーターの発見地点)に非常に近いことなどから判断した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1968年
●国井えり子(くにい えりこ)
当時 17歳
失踪日 1968年12月12日
当時の身分 高校生
当時の住所 北海道網走市
失踪場所 北海道網走市
失踪の状況
失踪した12月12日の朝、午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。失踪時の服装は高校の制服。普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままだった。日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。衣服などは持ち出した形跡はなかった。本人のアルバム(写真)がなくなっていた。高校生だったのでお金もそんなにもっていない。
失踪後、数日してから無言電話が3〜4回かかってきた。家のものが「もしもし」と出ると、一方的に切れるものだった。同様の無言電話が本人の親戚のところにもあった。
<これまでの経過>
国井えり子さんについては、2005年6月3日の記者会見において、0番台リストとして公開するとともに、国井えり子さんと思われる北朝鮮からもたらされた写真を公開した。
発表当時、1000番台リストとしなかった理由は、北朝鮮からの写真が一枚だけであり、それだけでは国井えり子さんと断定できるだけの確証が持てなかったことにある。しかし、当該の写真は、加瀬テル子さんの夫(北朝鮮において拉致された日本人を管理する責任者)と言われる男性と同じ場所で写ったものであり、極めて重要な写真であるとの認識を持っていた。そこで、より慎重に扱っていくとの配慮から1000番台リストとすることを保留していた。
<今回1000番台リストとする根拠>
発表後3か月あまりを経過したものの、日本国内はおろか、国外からも写真に写った女性についての情報が一切もたらされていない。この一切情報が無いことが、逆に、当該の写真が国井えり子さんである可能性が高いこと、すなわち国井えり子さんではないと否定する材料が無いことを証明している。
また、当該の写真を簡易鑑定した橋本助教授によれば「この写真の女性を国井えり子さんとして矛盾するものはないが、今後の検討を要する」とのことであった。つまり、当該の写真については、国井えり子さんではないと否定する材料が無い、ということである。
さらに、その後の調査により、国井えり子さんの失踪には不審な点が判明している。その不審な状況を警察当局によって明らかにしていく必要がある。
以上のことから、告発という法的手段に訴えることで失踪の解明が進むことを期待して、1000番台リストへ掲載した。
|
 |
1969年
●今井 裕 (いまい ゆたか)
失踪時期 1969年3月2日午後5時頃
失踪当時の年齢 18歳
失踪場所 青森県弘前市内
失踪当時の身分 工業高校3年生
失踪当時の住所 青森県弘前市
失踪当時の状況 卒業式の答辞を読むことになっていたので、制服のボタンを買いに行き行方不明に。
迷宮の扉-今井裕(RealPlayer)
|
 |
1969年
●大屋敷 正行 (おおやしき まさゆき)
失踪時期 1969年7月27日〜29日
失踪当時の年齢 16歳
失踪場所 静岡県沼津市大瀬崎海岸
失踪当時の身分 商業高校2年生
失踪当時の住所 東京都江戸川区
失踪当時の状況 友人とバイクで海水浴へ行き宿泊。夜中にトイレに行くと外へ出たまま戻らず。貴重品は枕元に残したまま。高校生活を楽しんでいた。
迷宮の扉-大屋敷正行(RealPlayer)
|
 |
1970年
●加藤 久美子 (かとう くみこ)
失踪日 1970年8月8日
失踪当時の年齢 22歳
失踪した場所 九州・福岡県北九州市八幡区自宅近くの電車停留所
失踪当時の身分 事務員
失踪当時の状況 朝、妹と一緒に家を出て、10分くらい離れた旧西鉄路面電車の電車停留所で別れる。その後、消息不明。
|
 |
1971年
●園田 一(そのだ はじめ)
生年月日 :大正7年(1918)2月25日
失踪年月日 :昭和46(1971)年12月30日
失踪当時の年齢 53歳
当時の身分 :養鶏場勤務
当時の居住地:鹿児島県曽於郡大崎町
失踪場所 :鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
失踪当時の状況 :正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。空港の帰り、都城市へ寄ってから国道269号線を帰ってくると言っていた。警察や地元の住民らで大捜索を行なったが、車の破片さえ発見できなかった。
1971年10月2日、頴娃海岸(鹿児島県揖宿郡)で、ゴムボートに乗って海の方から上陸する二人の不審な人物を夜釣りをしていた人が目撃して、指宿署に通報。後日2人は事情聴取され、外国人登録証を持たない、北朝鮮生まれの人物だったことが判明した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1971年
●園田 敏子(そのだ としこ)
生年月日 :昭和4年(1929)9月7日
失踪年月日 :昭和46(1971)年12月30日
失踪当時の年齢 43歳
当時の身分 :養鶏場勤務
当時の居住地:鹿児島県曽於郡大崎町
失踪場所 :鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
失踪当時の状況 :正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。空港の帰り、都城市へ寄ってから国道269号線を帰ってくると言っていた。警察や地元の住民らで大捜索を行なったが、車の破片さえ発見できなかった。
1971年10月2日、頴娃海岸(鹿児島県揖宿郡)で、ゴムボートに乗って海の方から上陸する二人の不審な人物を夜釣りをしていた人が目撃して、指宿署に通報。後日2人は事情聴取され、外国人登録証を持たない、北朝鮮生まれの人物だったことが判明した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1972年
●生島 孝子 (当時31歳)
生年月日 :昭和16年(1941)6月14日
失踪年月日 :昭和47年(1972)11月1日
当時の身分 :区役所支所勤務
当時の居住地:東京都渋谷区
失踪場所 :自宅アパートを出たあと不明
失踪当時の状況
・ 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。当日朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが詳しいことは言わなかった。夕方戻ると出かけた後だった。
・ 翌日出勤時に着る服を揃えて出かけていた。翌2日夜、自宅に電話があり無言の一時の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。(04/07/29第6次発表)
1000番台リストに入れた根拠
● 失踪の理由が存在しない。
● 失踪直後に不審な電話があった。
● 目撃証言がある(亡命者呉吉男氏、TBSが取材し、1月に荒木が、6月に家族が訪韓し面会して確認) |
 |
1973年
●古川 了子 (ふるかわ のりこ)
失踪時期 1973年7月7日
失踪当時の年齢 18歳
失踪場所 千葉県市原市
1973年3月千葉市内の高校卒業後、市原市の三井造船千葉造船所に勤めていたが、7月7日土曜日は会社休みだったので、昼ころ美容院に行って午後から千葉へ浴衣を買いに行く事を予定していた。
美容院の予約は前日(6日)の夜にしており、買物は「自分のお金で浴衣を買いたいから、一緒に見て欲しい」と母親に頼んでいて、「7日の午後なら花市場(千葉市内)行くからその時しましょう」と話し合っていた。
7日当日、母親は家から徒歩20分ほどのところで自分の経営していた花店に朝から仕事にでかけて、了子と午後京成千葉駅(現在の千葉中央駅)で2:30〜3:00ころ会うつもりで居た。
しかし了子から昼前に美容院に電話があり「今日の予約は用事が出来たので行かれなくなった。それから自分の母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えてください」と言った。
当該の美容師は家にも何回か遊びに来た親しい人で、了子の母親にはすぐその旨を伝えてくれた。 そして「いつもと変わらない明るい声でした」と証言している。電話の後ろが騒がしかったので「今どこ?」と聞いたところ「千葉駅」と答えたという。
伝言を聞いた母親は、友達にでも会う事になったのだろうとあまり気にもしなかったが、それから一切なんの音沙汰もなくなった。
古川了子さんを救う会
フジ・29年前消えた18歳(RealPlayer)
|
 |
1973年
●高敬美
失踪時期 1973年12月
失踪当時の年齢 6歳
失踪場所 東京都目黒区
失踪当時の住所 埼玉県上福岡市
失跡した父を、母渡辺秀子、弟と共に捜し歩いていた。
母親の渡辺秀子さんと一緒にいて、渡辺さんが殺害され姉弟が拉致されたと同会はみている。渡辺さんを被害者とする殺人容疑の告訴状が警視庁に出され、夫が北朝鮮の工作員だった可能性も指摘されているが、夫だけでなく、北朝鮮とかかわりのある周辺人物の行方も分かっていない。
家族が2004年1月、警視庁に国外移送目的略取容疑で告訴済み
背景事情
ニュース23「渡辺秀子さん新証言」(RealPlayer)
|
 |
1973年
●高剛
失踪時期 1973年12月
失踪当時の年齢 3歳
失踪場所 東京都目黒区
失踪当時の住所 埼玉県上福岡市
失跡した父を、母渡辺秀子、姉と共に捜し歩いていた。
家族が2004年1月、警視庁に国外移送目的略取容疑で告訴済み |
 |
1973年
●遠山 文子(とおやま ふみこ)
生年月日 :昭和27(1952)年5月2日
失踪年月日 :昭和48(1973)年7月失踪
失踪当時の年齢 21歳
当時の身分 :無職(建設会社退職直後)
当時の居住地:東京都に在住のあと旅行にでかけて
遠山さんは昭和48年3月末に家出。その後、会社の同僚の男性と暮らしていた様子。両親がそのアパートを訪ねたが、その1週間後アパートを引き払い、勤めていた建設会社も6月15日に男性とそろって退社している。当初は墨田区押上に在住。その後その男性とともに、福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪、最後は石川県羽咋市の柴垣の海水浴場(1週間滞在)と転々と旅行した記録を示すアルバムが、遠山さんの友人に送られてくる。アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに貼り付けてあった。途中、宿泊人数が4人になったことがあった。それほど親しくない友人にアルバムを送りつけるなど失踪の不自然さや失踪場所、それに目撃証言を加味し、判断した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1974年
●大澤 孝司 (おおさわ たかし)
失踪時期 1974年2月24日
失踪当時の年齢 27歳
失踪場所 新潟県佐渡島新穂村
失踪当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪当時の状況 自宅近所の飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
大澤孝司さんと再会を果たす会
大澤孝司さん |
 |
1974年
●清崎 公正(きよさき きみまさ)
生年月日 :昭和7(1932)年9月5日
失踪年月日 :昭和49(1974)年6月14日
失踪当時の年齢 41歳
当時の身分 :建設会社経営(大工)
当時の居住地:兵庫県尼崎市
失踪場所 :兵庫県尼崎市
失踪当時の状況 :失踪当日午前9時頃、通常と同じように弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを妻が見送ったのが最後。銀行では支払いのため50万円下ろしている。そのお
金は自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もついたままでった。失踪後なくなったものはない。失踪後2〜3カ月して乗っていた軽トラックが尼崎の阪急園田駅近くの額田で発見された。
経営は順調で当時現場を8件かかえ、新しい仕事のため建機も2台購入したところだった。仕事を整理したときも借り入れは一切無かった。失踪後無言電話が数回あった。失踪直前から在日朝鮮人と思われる人物と、仕事の取引で知り合い、急速に親しくなった。この人物は失踪後、警察への届出や仕事の整理などを2週間程度で手際よく行なったあと、姿を消している。
自ら失踪する動機が見当たらないこと、北朝鮮工作員の拠点の一つである場所での失踪、不審な人物との接触など、複数の要因から総合的に判断した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1976年
●国広 富子 (くにひろ とみこ)
失踪時期 1976年8月2日夜8時半
失踪当時の年齢 24歳
失踪場所 山口県宇部市自宅近所
失踪当時の身分 看護婦
失踪当時の状況 母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、300円のみを持って家を出てそれきり消息不明。
迷宮の扉-国広富子(RealPlayer)
|
 |
1976年
● 藤田 進 ふじた すすむ (当時19歳)
生年月日:昭和31(1956)年6月16日
失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
当時の身分:東京学芸大学保健体育D類1年生
当時の居住地:埼玉県川口市
失踪場所:朝、家を出たきり行方不明。
失踪当時の状況:失踪当日6:30〜7:00頃、以前から働いていたガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。(04/08/02第7次発表)
1000番台リストに入れた根拠
●脱北者が持ち出した拉致被害者と思われる日本人の写真が失踪者本人と同一人物であることが明らかになった。
●他の失踪理由が存在しない。
●失踪者の居住地が拉致・失踪の集中する川口である。
●久米裕拉致事件の前年の事件であり、隣接した小金井市の大学に通っていた。久米裕と同じガードマンのアルバイトをしていた。
●大学のあった地域周辺で同時期に多くの失踪者が存在する。
関連記事
特定失踪者藤田進さん / 弟さんの活動
報道特集 脱北者の持ち出した写真に藤田進さんが
藤田進さんはどこで拉致されたのか |
 |
1977年
●新木 章 (あらき あきら)
失踪時期 1977年5月21日
失踪当時の年齢 29歳
失踪場所 外出して以来行方不明
失踪当時の身分 銀行員
失踪当時の住所 埼玉県
迷宮の扉-新木章(RealPlayer)
|
 |
1977年
●松本 京子 (まつもと きょうこ)
失踪時期 10月21日午後8時頃
失踪当時の年齢 29歳
失踪場所 鳥取県米子市自宅近く
失踪当時の身分 家事手伝い
失踪当時の住所 鳥取県米子市
失踪当時の状況 自宅近くの編み物教室に行くと家を出て消息不明。普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で本人と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま、2人の男と松本さんは姿を消した。また事件前日、前前日の二日間不審な黒のクラウンが事件現場であるビニールハウスの前に停車していた。近所の方が『往来の邪魔になるから車をどけて欲しい』と言ったところ、車中から三人の男性が出てきたとの情報がある。
迷宮の扉-松本京子(RealPlayer)
|
 |
1977年
●前上 昌輝 (まえがみ まさてる)
失踪時期 9月22日
失踪当時の年齢 19歳
失踪場所 北海道旭川市
失踪当時の住所 京都府京都市
失踪当時の状況 北海道の富良野で過ごした後、旭川駅の荷物一時預かりザックを預けその後消息を絶つ。11月初旬に不審な電話があったが、以来手がかりは全くない。(04/3/10第4次発表)
前上昌輝君を救う会
迷宮の扉-前上昌輝(RealPlayer) |
|
1977年
●布施 範行 (ふせ のりゆき)
失踪年月日:昭和52(1977)年3月
当時の身分:プレハブ工事現場でアルバイト
当時の居住地:愛知県名古屋市
失踪場所:愛知県名古屋市?
失踪当時の状況:昭和52年3月、東京に在学中の妹にスーツケースが送られてきて、預金通帳、印鑑などが入っていた。その後、妹に「沖縄の友人宅に行く」と書かれた手紙が送られてきたのを最後に全く連絡が取れなくなった。失踪から半年後と1年後の2回にわたり、同級生と名乗る女性の声で「範行さんいませんか」という電話が山形市の実家にあったが、同級生に該当者はない。(04/9/17第8次発表)
1000番台リスト認定理由
1.名古屋での失踪時において北朝鮮関係者とのつながりがあったこと。
2.拉致以外の失踪理由が見当たらないこと。本人は、「沖縄に行く」と家族に手紙を残したが、沖縄に行った形跡が全くない。他の事件に巻き込まれた形跡もない。本人は失踪前の1月に「中華料理の料理人になりたい」と家族に漏らしていた。
3.匿名者からの目撃情報がある。 |
|
|
1979年頃
●金田竜光
失踪時期 1979年頃
失踪当時の年齢 26歳くらい
失踪場所 神戸市灘区・東京?
失踪当時の住所 神戸市灘区
兵庫県神戸市に住んでいた昭和52年ごろ、田中実さん拉致の実行犯・韓竜大の経営するラーメン店「来大」に就職。昭和54年、ウィーンに行った田中実さんの手紙を受け取って渡航準備をするため東京に行ったまま失踪。 |
 |
1979年
●山田 建治(やまだ けんじ)
生年月日 :昭和24(1949)年1月22日
失踪年月日 :昭和54(1979)年12月18日
失踪当時の年齢 30歳
当時の身分 :ドラム缶工場勤務
当時の居住地 :富山県西礪波郡福岡町
失踪場所 :福岡町の自宅から高岡市の勤務先への通勤途上
失踪当時の状況 :車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
富山県高岡市の雨晴海岸では、山田さん失踪前年の78年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている場所であること、山田さんの勤務先のドラム缶工場がその現場に近いこと、失踪付近で海に向かって発着信号が送られていることが目撃されていること、また失踪の形態や車が放置されている状況など、他の失踪との類似性から判断した。(04/05/22第5次発表) |
 |
1981年
●辻 與一(つじ よいち)
生年月日 :昭和24(1949)年2月6日
失踪年月日 :昭和56(1981)年12月4日(この日の朝まで下宿にいたことが確認されている)
失踪当時の年齢 32歳
当時の身分 :高校英語教諭
当時の居住地:三重県桑名市
失踪場所 :三重県桑名市
失踪当時の状況 :失踪当日昼前、下宿から失踪。失踪数日前から、下宿に不審な男性が見張っていて、一度は下宿の敷地内に入ろうとしたため、下宿の大家が制したこともあった。
下宿の部屋に朝鮮関係の本がたくさんあり、また残されたノートにはそれらの本の感想や、北朝鮮に関連すると思われるサークル活動に参加した記録などが、日記のように記されていた。週明けに期末試験が控えており、通常の勤務状況、当時の部屋の様子からして、自らの意思による失踪とは考えられない。(04/05/22第5次発表) |
 |
1982年
●河嶋 功一 (かわしま こういち)
失踪時期 3月22日
失踪当時の年齢 24歳
失踪した場所 関東・神奈川県横浜市金沢区
失踪当時の身分 大学を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。
失踪当時の状況 当日は父親たちが下宿へ荷物を取りに行き、本人は汽車で浜松に帰るため、午前9時半ごろに下宿を出て、50〜60メートル先の角を曲がるところまで見送った。その後、行方不明。当時小雨で、傘1本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。 (04/3/10第4次発表) |
 |
1984年
●山本 美保 (やまもと みほ)
失踪時期 1984年6月4日
失踪当時の年齢 20歳
失踪場所 山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明
失踪当時の状況 図書館に行くと言って出かける。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。失踪の3年4カ月後から無言電話が4年半ほど続く。
山本美保さん同級生の会
迷宮の扉-山本美保・秋田美輪(RealPlayer)
|
 |
1985年
●秋田 美輪 (あきた みわ)
失踪時期 1985年12月4日
失踪当時の年齢 21歳
失踪場所 兵庫県神戸市の大学前
失踪当時の身分 大学4年生
失踪当時の状況 12月4日、大学で午前の授業を受け、1時過ぎに学食で友人と食事をとった後、校門近くで友人と別れた。夜8時過ぎに友人宅へ泊まると家に電話あり。翌朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜でバッグが見つかったとの電話。
迷宮の扉-山本美保・秋田美輪(RealPlayer)
|
 |
1988年
●林田 幸男(はやしだ ゆきお)
生年月日 :昭和9(1934)年12月2日
失踪年月日 :昭和63(1988)年7月17日
失踪当時の年齢 53歳
当時の身分 :建設会社経営
当時の居住地:宮崎県児湯郡高鍋町
失踪場所 :宮崎県沖海上
失踪当時の居住地 :林田さん所有の遊漁船「共擁丸」1トンで、友人と二人で午前4時頃、宮崎市の大淀川河口の通称「タンポリ」を出港、その後二人とも消息を絶つ。海上保安庁や自衛隊など海と空から四国沖まで広い範囲で捜索を続けたが、ライフジャケットが見つかっただけで船の残骸など一切見つからなかった。またパーソナル無線を持っていた
が、何の連絡もなかった。当時はべた凪だった。
林田さん失踪の翌年10月、宮崎県高鍋町沖で地元の釣り人が釣りをしていたところ、不審な船に追いかけられたという。
宮崎県中南部海岸では原敕晁さんの拉致が行なわれ、また工作員の上陸も確認されている。当時宮崎県警は、北朝鮮の不審船や密航者に注意を促すビラを配っていたことから、工作員がかなり頻繁に出入国を繰り返した地域と思われる。(04/05/22第5次発表) |
 |
1991年
●佐々木 悦子 (ささき えつこ)
失踪時期 1991年4月22日
失踪当時の年齢 27歳
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪当時の身分 銀行パート
失踪当時の住所 埼玉県
迷宮の扉-佐々木悦子(RealPlayer)
|