
投稿者
trycomp 投稿日時 2003-10-14 23:19:19 (2296 ヒット)
鳥取県米子市で77年に行方不明になった松本京子さん(当時29歳)の兄の松本孟(はじめ)さん(56)が14日、「北朝鮮の清津で妹を見たという脱北者の証言を得た」と発表した。松本さんに関する初の確定的生存情報として15日、内閣の支援室に所在確認に努力するよう申し入れる。孟さんと、妹原仁(せはらひとし)・特定失踪(しっそう)者問題調査会理事(48)が米子市で記者会見して述べた。
孟さんらによると、証言したのは、約3年前に単独で脱北した北朝鮮人民軍の元大尉という男性(36)。韓国の脱北者支援団体「北朝鮮帰国者生命人権委員会韓国本部」が仲介し、孟さんと妹原理事の2人が7日、ソウル市内で会ったという。
この脱北男性は、対日工作拠点とされるロシア国境近くの清津にある労働党の連絡所で、94年11月、95年2月、96年5月、97年3月ごろの4回、京子さんらしい女性を見て、3回目には会話も交わしたと証言したという。 この時、そばにいた幹部が「京子さん」と呼んでいたのを聞き、日本語が分かるこの脱北者は、「京子」という名前を記憶していた。孟さんが持参した京子さんの写真数十枚を見て「間違いない」と証言し、特に72年12月撮影の写真を「これが一番似ている」と語った。女性は施設内で日本語を教えているのではないかとも話したという。
孟さんは「妹が生きていることを確信した。政府にはこの証言を重視して確認に努力してほしい」と話した。
京子さんは77年10月21日夜、「編み物教室に行く」と言って米子市の自宅を出たまま行方不明になった。この夜、自宅近くで京子さんが男2人と一緒にいるのを近所の男性が目撃。声を掛けると男らは男性を殴って逃げた。現場に京子さんの片方のサンダルが残されていた。
孟さんらによると、脱北者は他に(1)清津の連絡所には数人の日本人がいた。うち1人は女性(2)68年12月に北海道稚内市で行方不明となり調査会が特定失踪者としている斉藤裕さん(当時18歳)についても、自分が約15年前に平壌近くの「馬東煕(マドンヒ)偵察大学」の学生時代、日本語を教えてもらうなど日常的に接触していた――と証言したという。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20031015k0000m040099000c.html斉藤裕氏に関しては北朝鮮版KGBにあたる国家安全保衛部要員だった亡命者、権華氏[クオンヒヨク]氏も「朝鮮人民軍偵察指導局の日本語教官だった」と今年5月のFridayで証言している。
http://s1.buttobi.net/gin/friday.html