
投稿者
trycomp 投稿日時 2009-1-12 1:35:14 (1018 ヒット)
二〇〇一年に解散を宣言した旧日本赤軍がかつて北朝鮮と密接な関係にあったことが、元メンバーの証言で分かった。これまで北朝鮮に渡った「よど号」グループと日本赤軍の接触は知られていたが、北朝鮮との直接の関係が明らかにされたのは今回が初めて。
証言したのは一九七八年に脱退を表明した元メンバーの和光晴生被告(60)=オランダ、マレーシアでの大使館占拠事件(逮捕監禁・殺人未遂罪)で無期懲役、上告中。
同被告が東京拘置所から支援者らに発行している個人誌(「独報」11号)の中で明らかにした。
それによると、同被告は七四年、ベイルートで最高幹部の重信房子被告(63)=オランダでの大使館占拠事件で懲役二十年、上告中=から北朝鮮当局に資金援助を求める手紙を見せられたと証言。
七五年に重信被告ら二人が北朝鮮に渡航した後には、同国の「主体思想」に基づく思想闘争という活動形態が組織内部に持ち込まれたと指摘している。
さらに七六年にメンバー二人がヨルダンで調査中に拘束され、一人が獄中で死亡した事件でも、重信被告から調査の背景に大使館占拠事件を起こすことを期待した北朝鮮当局の意向があったと聞かされた、としている。
日本赤軍と北朝鮮の関係について、重信被告は一昨年の雑誌取材に対し、日本で同じ赤軍派に属していた「よど号」グループに出国を促す狙いで同国を訪れたことがあったが、決裂したと回答。同国との直接の関係には触れていなかった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009011102000083.html東京新聞の記事。上は特集の紹介記事で、特集そのものはWebには掲載されていない。紙面では、「こちら特報部」の記事でかなり長文です。図書館ででもお読みください。
ただ、あくまでも和光晴生被告が重信から聞いた、という間接的なもので、内容も推測されていたものから大きく踏み出すものではない。
(1)74年春、重信が書いた北朝鮮当局あての手紙を見せられた。その手紙には簡単な自分たちの紹介とともに「月々○×ドル」と具体的な数字を挙げての経済支援の要望が書かれていた。
(2)75年、重信ともう一人のメンバーが訪朝。帰国後「自己批判と相互批判」を柱とした思想闘争という活動が持ち込まれた。この「自己批判と相互批判」はよど号犯メンバーが北朝鮮でやらされたもの。
(3)重信が北朝鮮で、若い女性がいないかと打診されたとのエピソードを聞いた。
(4)76年、ヨルダン国内で調査活動中の赤軍メンバー二人が逮捕されたが、この活動は北朝鮮側から『大使館占拠なんか面白いですね』と言われたことが発端だった。
(5)79年、赤軍派事務所を訪れた際、スペインへの渡航方法や宿泊先についての10ページほどの手書きの調査報告書を見かけた。
上記5点が主な内容。
重信はこれに対して「棘のある思いこみ」「事実を知らず邪推」と否定しているという。
(1)の北朝鮮との接触に関して記事は、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の国際部が仲介した、と見ている。
(2)訪朝後の重信について和光被告は「北朝鮮にかなりかぶれていた」と振り返っている。
(3)「若い女性」に関しては北朝鮮当局の「よど号メンバー」への結婚相手探しと関連づけられるかもしれない。
(4)この76年の二人の逮捕という「失敗」を挽回するために、77年9月、ダッカ日航機ハイジャック事件を引き起こしたと和光被告は見ている。このダッカ事件の際、犯人である日本赤軍の西川純が使った偽造旅券が、よど号犯妻・八尾恵の旅券と酷似していた。八尾が北朝鮮に入ったのは77年3月。
八尾恵の旅券番号 ME4220148
西川純の偽造旅券 ME4220149(発行日は八尾の旅券と同日)
板東国男の偽造旅券 ME4220027(発行日は八尾の旅券と同日)
旅券では、石岡亨さんの旅券番号と酷似した偽造旅券が北朝鮮工作員が使っていたことも知られている。
石岡亨さんの旅券番号 MB0209124
工作員の偽造旅券 MB0209123
柴田泰宏の偽造旅券 MB0209115
(5)スペインでは、よど号犯妻(森順子・黒田佐喜子)が石岡亨さん、松木薫さんと接触。ウィーンに連れ出し、後北朝鮮に拉致した(80年4月)。この森順子・黒田佐喜子がスペインで宿泊していたのと同じホテルに同時期、宿泊台帳に「ユウ・キクムラ」の署名があり、これは日本赤軍の菊村憂と見られている。
この特集記事を書いた記者さんは「田原牧」さんでした。