
投稿者
trycomp 投稿日時 2008-12-15 17:23:04 (1407 ヒット)
12月12日、日朝国交促進国民協会(会長 村山富市)主催による蓮池透氏の講演会に参加された方から発言要旨を頂きましたので、掲載いたします。録音したものではなく、その場でのメモをもとにしていますので、発言の全てを網羅しているわけではありません。
拉致問題に関して「お前のところは解決しているんだから黙っていろ」と言われます。「お前が何だかんだと言っても説得力がない」と言われます。しかし、弟(蓮池薫)たちが帰って来た時に、弟が「自分たちだけ帰って来て忍びない」と言っていたのですが、今もその気持ちは持ち続けています。弟が帰国して丸六年たって7年目に入る。これは弟の立場だけでなく、我々家族も同じような思いをしておりますので、みんなで揃って、早く自由に、そして誰にも束縛あるいは中傷めいたことを言われないような生活ができることを願って、私は私なりの考えを聞いていただいて、何とか拉致問題の解決に繋がっていけばという思いで、こうした場で話をさせていただいている訳です。
弟達は拉致されて24年、帰国して6年経つが、未だ帰れない人が多数いる。長い間、北が日本人の人権を侵害したことは許せない。
昭和52年7月23日、弟たちは拉致された時、海岸でデートしていました。人のいない海岸の北の方で拉致されたということは、南の方にいれば無事だったかもしれず、他の人が拉致されたかもしれない。このような危険はすべての日本人にその可能性があります。
弟の場合、工作員に後ろからタバコの火を貸してくれと言われてライターを渡すと殴られて気絶。恋人のユキコはボートに乗せられて行く時、顔に巻かれたガムテープの隙間から民家の灯りが見えて不安だったそうです。
弟たちは24年間従順に北の言うとおりに生きることにしたが反発もあった。机を叩いて怒ることもあったが、1年もしないうちに地村夫妻と相談してこの国で生きるために言われるがままに生きることにした。
それが北で生きるためのプラス思考だそうです。北では日本に帰ることを考えると死ぬことになります。必死に北の言葉を覚えました。相手の心を読むのがうまくなったそうです。そうやって北の喜ぶように行いました。そうやって長い間抑えつけられていたためか弟は激情型の人間に変化しました。
北では月に一度デパートに行けるのですが日本から来た人を見つけると隠れました。日本から来た芸能人がテレビカメラで写されている時は逃げたんです。日本でテレビに自分たちが放映されたら無事ではすみませんから。あの国では金を出せば日本に電話してやる、手紙を出してやるという誘惑があったが断りました。
弟が姿を消して家族の間では弟の話をするのがタブーとなってました。つらいからです。しかし大韓航空機の事件があった時、犯人のキムヒョンヒに日本語を教えたリ・ウネという女性は弟の恋人のユキコではと思いました。
そんな中、「家族会」というのを作ろうということで、我々が言い始めた訳ではないのですが、発起人の方の呼びかけで、「家族会」を作りました。
そして、色々な方に陳情に行くとか、署名を集めるとかして、そういうことをやっていれば何とかなるのではないかと、先ず、同じ気持ちの家族が集まるということで、少しでも辛さを共有できて、また軽減できたというメリットがありますし、署名を集めるなどで動き廻ることによって、余計なことを考える時間が無くなったというメリットがありました。
このようにして、だんだん両親の顔にも精気が蘇ってきた記憶があります。
私は、東京の方で議会への陳情とかをやっていて、ある議会に陳情し、陳述させてもらう機会がありました。
この時、15分位話をしたのですが、傍聴席に沢山の方がいて、心強いと思いました。ところが陳述を終えて会場から出ると、その方々に取り囲まれて「あんたあんなことを言うものではない」「止めてくれ」と、「あんたの言う事が議会で通ったら困る」というような話をされました。
この方々は、朝鮮総聯の関係者だったのです。
私は何も知らずに、心強いと思ったのですが、そんなこともありました。
また、署名を集めるために作った被害者のパネルとか、看板とかを蹴飛ばされたり、あるいは倒されたりして、そんな嫌がらせに近いこともされたことがあります。
当時は、あくまでも疑惑であり、デッチアゲであった訳で、なかなか世間の人に認知してもらうことができませんでした。
それが2002年9月17日、疑惑でもなく、デッチアゲでもなく、真実だったということがはっきりした訳であります。
2002年9月17日、拉致が判明、拉致は人権侵害だと外務省はもっと世界に言ってもらいたい。
9.17で情勢は一変しました。
今考えて見ますと、非常に複雑な思いがするのです。
私は、9.17というのは、日本と北朝鮮が仕掛けた謀略の一日だと思います。
謀略によって拉致が明らかとなり、それで金正日総書記が謝罪したということがあって、これから色々な問題が出てくるのですが、もし、こういうことが無かったとしたら、未だに拉致問題は闇の中だったのかなと思うと、非常に複雑です。
9.17というのは、小泉元総理が電撃訪朝して、私は、当時は「また米支援でも約束するかな」という程度に思っていました。
この当日、国会の議員会館で対談の行方を見守っていたのですが、午後になったら、外務省が「場所を移動してくれ」「飯倉公館に移動しろ」と言うのです。
それで、「情報はある」という話で、バスで飯倉公館に移動しました。
飯倉公館は外務省の施設ですから、きっと平壌との回線か何かが繋がっていて、何かしらの情報がもらえると思って、そこで応接室に通されて、中央を見ると大きなテレビが置いてあり、これが専用回線の物かと思いました。
この部屋の片隅には、コーヒーや紅茶、ケーキがあり、ご自由にどうぞと言われましたが、口に通るものではなく、その場所で相当待たされました。1時間近く待たされました。
そこで私が「テレビをつけてくれ」と言ったら、外務省の人がつけてくれたのですが、30分位経った後のNHKのニュースで、「緊急臨時ニュース・拉致被害者が9人生存」という報道があったのです。
9人とは誰だと思ったのですが、そういうことを口にする人はいませんでした。そのうちに9人ではなく、数人という風に報道が変わって、「ずいぶんいい加減だな」と思って、何よりも、何で外務省でNHKを見ているのだという気持ちになり、「何でテレビの方が早いんだ」と、外務省に文句を言いました。
外務省は、「皆さんのご家族の重要なことですので、最後の確認を急いでいます」という返事で、それからまた1時間位して、ようやく「横田さんどうぞ」と言って、個室に案内されました。
それから20分程して戻って来たのですが、早紀江さんの目が真っ赤になって、ちょっと聞くに忍びない状況でした。
その後、他の家族も順番に呼ばれまして、後で聞いた話では、当時の福田官房長官(福田康夫)と植竹外務副大臣(植竹繁雄)が、本当に深刻な顔をして、お宅のお嬢さん、あるいは息子さんは亡くなったと、はっきり断言したそうです。宣告したのです。「いつ、どこで、何で」と聞くと、それは情報が入っていないが、とにかく死んだと言ったそうです。
そして、最後に私たちが呼ばれて、「家族会みんな一緒にやってください」と言い終わらない内に、「黙って聞け」と言うのです。
お宅のお子さんたちは生きている。だから良いだろうと言わんばかりの物言いだったのを覚えています。
結局、5人生存、8人死亡となったのです。
それで、もうビックリと言うか、どうしたものかと、もう我々は家族会ではなく、遺族会になってしまって、「横田めぐみさん死亡」という号外まで出る大変な騒ぎになりました。
その後、外務省に証人という人がいると言うので、たまたまその人に会えたのですが、この人は横田めぐみさんの娘「ウンギョンちゃん(当初キムヘギョンと報道)」に会った人で、その人に「横田めぐみさん死亡をどうやって説明するのですか」と聞いたら、「私は見分した訳ではないので分からない」と言うのです。
それで外務省に聞いたら、「あれはあくまでも伝聞情報」と言うのです。私は、「それでは官邸が断言していて、なぜ外務省が伝聞なのか」と、「外務省に平壌から入ってきた情報が、どこで断定情報になったのかフローチャートを書いてくれ」と言いましたが、未だにそれは手元には届いていません。
結局、8人は死んだから、葬式を出して諦めてくれと言うことです。
5人は生きているけども、平壌が良いと言っているというようなことで済ませようとしていると思いました。
5人が生きていれば連れて帰るのが普通で、少なくとも、本日から日本の管理下に置くと言って、日本人の管理員をつけて帰って来るべきと思ったのですが、そういうことは全く無かった。
それでは何故、我々を飯倉公館に連れて行ったかと言うと、これはマスコミから隔離するためだったのです。
マスコミがいる前で「死んだ」「生きている」の話をすれば、家族が感情的になって、色々なことを言い出すとうるさいから黙らせるということかと思います。
何で時間を稼いだのかと考えて見ると、これは小泉さんが平壌宣言にサインするためだった。
小泉さんが戻って来て記者会見した際、「痛恨の極みだ」と言われて、その時はそうは思わなかったのですが、今6年も経ってよくよく考えて見ると、マスコミにも号外とかを出してもらい、「5人生存8人死亡」というのを既成事実化してしまう。そういう私に言わせれば、幼稚でとんでもない考えをする人がいたのだと思いました。
普通なら、「北朝鮮は8人死亡と言っているが、日本政府は何も確認していないので、皆さん希望を持って諦めないでください」と言うのが、全うな言い方だと思うのです。
聞いた内容だけのものを「死んだ」と言うのです。
北朝鮮であれば、上の人から死んだと言われれば、「はい」と言って葬式を出すのでしょうけども、日本はそうではない。証拠とかがなければ確認できない。
北朝鮮と日本が事前に結託して、「5人生存8人死亡」という話を作り上げておいて、平壌宣言にサインした上で、国交正常化に突っ走っていく。
しかし、これがうまく行かなかった訳です。
北朝鮮もそういうシナリオで拉致を認めて、恥を忍んで謝れば、何とか国交正常化できて、巨額のお金が入ると践んだのでしょうが、これがうまく行かなかった。
これは本当に恐ろしいことで、24年以上も闇に葬ってきたと言うか、置き去りにしてきた拉致問題を、わずか一日でリセットしてしまおうという、本当に恐ろしい一日だったのだと思います。
このようなことで、日本と北朝鮮が多分約束したのでしょう。しかし、その約束は果たせなかった訳です。
結局、これは日本が北朝鮮を騙したと言うか、約束を破ったということかと思います。
5人生存8人死亡ということですけども、これは、あくまでも数字の伝聞であって、拉致被害者の人権とか人格、尊厳は全く考えられていないのだなと、つくづく感じる訳であります。
これが拉致を認めたということで、非常に大きな一日だったのですが、こういった謀略が裏にはあったのだと思います。
しかし結局、日本国民は怒り国交正常化は出来ず金正日は謝罪したのに金をもらうことが出来ない、そのため日本に騙されたと思っている。
弟たちが政府からもらった行程表には北に持って帰る土産のことまで書いてあって、政府は弟たちを北へ帰すつもりだったのです。これが一つ目の政治決着です。しかし弟たちは日本に残ることを決意しました。外務省は北との約束事はないというが二枚舌です。約束はあったにちがいありません。これが二つ目の政治決着です。
三つ目は小泉再訪朝で子ども達が日本に来るが正常化はならず、その時の小泉首相と家族の会見で家族にやりこめられた小泉首相は怒って、以後、北との対話をなくしていきました。あの時に褒め殺しでもしていれば、小泉さんは、北朝鮮との国交正常化にもっと意欲を燃やしていたかもしれない。
そう思うと、非常に残念です。
四つ目はめぐみさんの遺骨。あれは外務省が北に頼んで持ってきてめぐみさんの死を事実としようとしたんです。しかし、偽物と判定された。またしても国交ならずとなり、北は日本に怒り拉致の解決に協力しなくなる。
日本政府はもっと真剣にやれと言いたい。政府が迅速に解決する姿勢があれば24年も放置されることはなかった。
日本政府は、24年間、今は知りませんが、拉致被害者を救出しようという気概があったとは、私には思えない。
少なくとも、24年間は放置していました。
闇に葬り去ろうとしていたのかもしれません。
これが一番はっきりしたのが、2002年に外務省は北朝鮮に調査団を派遣したのです。
この出発日の朝になって、たまたま集まっていた家族の所に来て、外務省の人が「皆さんにお願いがある」「我々はこれから平壌に調査に行きます」と言うのです。
私は、「何でしょうか」と聞いたら、「被害者の特徴を教えてください」と言うのです。「はあ〜」と驚きました。
私は、「何の情報も持っていないのですか」「24年目にして初めて情報収集ですか」「謝ってください」と言いましたら、「我々は我々なりに努力しているから認めてくれ」と言うのです。
そこで、「謝れ」「認めろ」「謝れ」「認めろ」というやり取りで、1時間以上経ちました。結局、平壌行きの時間がないということで、しょうがなく情報提供しました。
それでも、何もやってこなかったというのがはっきりしている。
そして、私が考えるのが、何か変なナショナリズムが日本国内に一時盛り上がったと思うのです。
ある敵を作って、それを対象に憎しみや怒りでナショナリズムを煽るということは、私は最低のことだと思います。
最低限、スポーツの世界では許されるかもしれませんが、そういうことが実際に起こっていたと思うのです。
北朝鮮に対して、「あんな国は潰してしまえ」「けしからん」と、そういう意見がありました。
私も、そんな火に油を注いだ一人かもしれませんが、今になって考えると、ちょっと盛り上がりは余計だったかなと思います。
一億国民が北憎しという盛り上がりようだった。
今年ソウルで安明進に会い「小さな事を大きく話して北を憎ませる事をした」と言われ彼の証言の信憑性に疑問が出ました。日本が正で北が悪だというのは拉致問題解決とは無関係です。北は自分が正で日本が悪と思っている。日本政府は北が何故怒っているか分析して北に本当の事を言わせる努力をするべきです。
私が実際に耳にした言葉ですが、「拉致、拉致ばっか言ってんじゃねえ」とか、「可哀相だけど所詮他人事だよね」「運が悪かったんだよ」とか言う人たちに、私たちの税金を使ってほしくない。
全ての人たちが、私たちの味方であるとか、話を全部理解してくれるとか、そういう思いが自分の中にあるのではないか。色々な考えを持った人がいるし、やはり世間の方々は、我々の話など聞いてくれないと、そんな風に自分を戒めることも重要だと思います。
マスコミの方は、「これ程世論が引かない事件も珍しい」と言いますが、だんだん皆さんの関心というのは引いていると思います。
9.17とか、あるいは5人が帰国した10.15とか、非常に静かでしたし、取り上げるマスコミも少なくなったと思います。
世論喚起はやはり重要だとは思いますが、これは、内閣官房の対策本部がやることではない。
一緒になって世論喚起をやっているのです。
果たして、これが国がやることなのかと疑問を呈したい。
CM、パンフレット、CD、映画、海外メディアの招聘、現在人権週間ですけども、トラックまで走っています。
拉致被害者を取り戻すと、それはみんな分かってますよ。
どうやって取り返すんだと、10トントラックまで走らせて、まるで街宣車じゃないですか。もっとやることがあるだろう。
救出に繋がることを、もっと方針的なことをやってほしい。
自分たちが何もできないことを棚に上げて、我々が考えているようなことをやって、「やってるよ」と責任逃れをしているとしか見えない。
つまり、政府の世論喚起というのは、「早く助け出さなきゃ」と言っているだけです。それで救出ができるんですか。
経済制裁というのは、私も経済制裁しろという集会にも出たことがありますが、これは何の効果もないことは、歴史が証明していると思うのです。
届かない鉄砲を対岸に向けて撃っているだけで、逆に北朝鮮を闘いの相手にしてしまう。あるいは、反日のプロパガンダに利用されてしまうとか、そんなことしかないと思います。
警察庁も同類ですよ。
自分の手が及ばないことを知りつつも、拉致被害者を特定して、被疑者を国際手配する。それが何になるのですか。じゃあ捕まえてみろ。
これはどう考えても、保身のためのアリバイ作りとしか思えない。
そして、何故か知らないけど、朝鮮総聯の捜索だ何だとやっている。朝鮮総聯を捜索して、それで拉致被害者が取り返せるのですか。これは、私は良く分からない。
9.17以降、警察の人が実家にも尋ねて来るようになりました。
何かありましたかと言って来るのです。
何か持って来るのはあんただろうと、うちの母は怒っています。
支持率が20%程に落ちた麻生さんが、今何をお考えなのだろうと思います。
テロ支援国家が解除になりました。
あれは、あくまでもアメリカ国内の問題だと、拉致問題とは関係ない、拉致は日朝問題だ、自分でやってやると、強い意志をお持ちなのでしょうか。でも、それどころじゃないと思うのです。
今、拉致問題に取り組むモチベーションとかは全くと言って良い程ない。国内の政治問題で手一杯だと思うのです。
福田さんも強硬路線でしたが、こういうやり方が一番困るのです。
家族の顔色を見て、「あんた方の言っていることを我々はやっているのだから良いだろう」と、そういう感じです。
家族が怒ったら、「あんた方が言うように経済制裁しているじゃないか、良いだろう」と言います。
そうではなくて、「ちょっと家族は黙っていろ」「まあ見ておけ」と、こう言える人が何故出てこない。
国会議員は、「ギャーギャー」吠えているだけです。
そして、胸にバッジを付けてます。麻生さんも付けてます。
外すと票が減ると思っているのでしょう。
バッジを付ければ「取り組んでいる」と思う人はいません。
いかなる方法でも、どんな方法でも良いから、肉親を取り返してくれというのが、家族の純粋な気持ちだと思います。
だから、ありとあらゆる知恵を絞らなければいけないのです。
六者協議は、バランスの取れた外交ではないと思うのです。
日本は拉致があるからエネルギー支援できないと、これも圧力政策の一貫としたら、オーストラリアが肩代わりすると言うなら、「止めてくれ」と言わなければ、おかしいじゃないですか。
まだ、するか、しないかは分かりませんが。
それぐらいの意識を貫いてほしいと思うのです。
核で一番脅威を被るのは我が国です。
段階的に経済制裁を解いていって、我々は引き下げてやるから何かやれと、ハードルを下げるから何かやれと、何かやったらもう一段下げてお前らもやれと、そういう方法もあるのではないかと思うのです。
そうやって、北朝鮮に譲歩を引き出すのがどうでしょうか。
強硬ではなく、柔軟な対応が必要な時期になっているのではないかと、私は思うのです。
もう、恥とか外聞とか言ってる場合じゃない。
日本政府には、真剣に考えてほしいのです。
感情を表すのは家族だけで十分です。政府には理性を持ってほしい。理性的に物事を考えてほしい。
どうやったら救い出せるか、トラック走らせたって帰ってきません。コンサート開いたって帰ってきません。短波放送を送りつけても帰ってきません。話し合うしかないじゃないですか。戦争はできないのですから。
自分は、外交官でもなく政治家でもないので、非常にもどかしくなります。
もし、自分で何かやれるのであれば、やりたいと思います。
だから、横田さんも周りが何と言おうと、「孫に会いに行くんだ」と言って、会いに行けば良いじゃないですか。
怖かったら、政府の人間、国会議員を連れて行けば良いんですよ。
行ったら懐柔される。言うこと聞かなければ良いじゃないですか。
ウンギョンちゃんが「お母さん死んだ」と言ったら、「あ〜そう」と言って、そんなの信じなければ良いじゃないですか。
そういうところから、突破口が開けるかもしれない。
横田さんが北朝鮮に行きたいと話した時、私は昔止めました。「北朝鮮に行かないでくれ」と、あの時は子供たちが人質だったのです。状況が変わったのです。
横田さんがもし行くと言うなら、私もお供します。来ないで良いと言うなら結構ですが。
私にできることなら、何でもするつもりです。
最後に平壌宣言の意味です。
平壌宣言を履行するのか、あるいは破棄するのか、その辺の政府の見解というのは全くなっていない。
安倍さんは、「全員生存を前提に平壌宣言に乗っ取り」と、全く矛盾することを平気で話していました。
平壌宣言に乗っ取ってしまったら、8人は死亡なのですよ。
8人死亡を受けて、小泉さんがサインしたのです。
ですから、全員を生存と言うのであれば、平壌宣言は破棄として良いと思います。
何をもって解決かというのは、非常に難しくなっています。
今、政府が公報している12人の認定者が帰って来れば解決なのですか。違います。
最後の一人まで救い出します。じゃあ何人ですか。
答えられる人は、一人もいないと思います。
ですから、それはそれとしても、段階的に物事を進めて行かなければいけない話であって、まとめて300人、400人を取り返すなんてことは、これは不可能に近いという風に思います。
ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、ガーガー言っている国会議員、それと、拉致のおかげで大臣になれた中山さん、色々言っている暇があったら訪朝しろと、私は言いたいと思います。
取り留めのない話をしてしまいました。ありがとうございました。
【質疑応答】
質問(男性):政府は一環した姿勢を取れないのは何故か。日本は北の正確な情報は持っているのか?
蓮池透氏:拉致問題は面倒くさいという考えがあったのでは無いか。情報は韓国などからあるようだ。テレビCMのキャンペーンより情報をもっととるべきだ。
質問(和田春樹):安明進の証言は信じてよいのか?
蓮池透氏: 私の感触では、当初の発端の横田めぐみ発言というのは、非常に確度の高い話と思いますし、彼はその点について謝罪はしていません。
あれは間違いないと本人は話していました。
その後、色々な情報が彼から出まして、この後半と言うか、それ以降の発言で、例えば、私は彼が日本に来た時に、弟の写真を見せたのです。この時彼は、「知らない」と言ったのです。
それが、10.15で羽田のタラップを降りた時ですが、「あれは蓮池薫に間違いない」と言ったのです。
この点を正したら、「それは本人の身の安全のためだった」と言いました。
それと、例えば、金正日政治軍事大学で2人の日本人と、他に何人かがいたとしたら、2人と言うのではなく、15人いたとか、そういうことでオーバーに言ったと、このことについて申し訳なかったと言いました。
横田めぐみさんのことは、否定はしていません。
(最後に蓮池透氏は以下の言葉を付け加えた。)
弟が世間に出てこないのは、彼いわく「俺たちは北の全てを知っているわけではないが、マスコミに話すと情報の価値がなくなる。政府機関には全て話した」と言うことです。弟がしゃべらないから解決しない、しゃべれば解決するなんてことはありません。
蓮池透氏「あらためて拉致問題を考える〜家族の立場から」
<10回シリーズ連続討論 拉致問題を考える>
第1回 12月12日(金)13〜15時
会場=番町会館(国電市ヶ谷下車徒歩8分、中華学園隣)
参加費 各回500円
主催:日朝国交促進国民協会
http://www.geocities.jp/nnjcb966/index.htm