秋田の中学生と小学生の兄妹が、特定失踪者「生島孝子さん」のご家族宛てに、たくさんの「思いのこもった折り鶴」を作って送ってくださったそうです。孝子さんのお姉さんは、遠くからの、子どもたちの純粋な思いにとても感激したということです。
*もう一度原点に:ブルーリボン、増元さんのメール、伊藤兄妹 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3748
*3/13にTBSで放送された「報道特集」を、引き続きビデオに撮ったものから文字化しました。
《特定失踪者の家族 『時間がない』》
(司会者)
さて、続いては「拉致問題」です。去年の暮れに、横田めぐみさんの遺骨とされるものが「別人のものである」と日本政府が発表して以来、北朝鮮はこの問題では強硬な姿勢を取り続けていまして、未だに進展はありません。横田さんご夫妻のお歳を考えれば、どれ程怒りと無念で燃えていらっしゃるか、容易に察することができるのですが、拉致の可能性が否定できないという特定失踪者の家族の皆さんも、年々高齢化が進んでおりまして、政府による拉致認定もないまま亡くなっていく方もいらっしゃいます。このままでは例え拉致の事実があったとしても、北朝鮮の引き延ばしによって時間切れになってしまう、そんなギリギリの状況で暮らすご家族の皆さんを取材しました。
(ナレーター)
2/9新潟佐渡市。骨壷を抱いてバスを降りるジェンキンスさん(64)。後ろには喪服姿の曽我ひとみさん(45)。先月(2月)7日に亡くなった曽我ひとみさんの父親茂さんの葬儀の映像です。フラッシュを浴びながら式場に入って行くひとみさん。依然として母親のミヨシさんの安否はわからないまま悲しみの日を迎えました。
*曽我ひとみさんの父、茂さん 死去 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3624
拉致被害者地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、半年前まで内閣官房参与として家族の支援にあたってきた中山恭子氏も駆けつけました。また、森進一・昌子夫妻の花も届き、その模様は大きく報じられました。
しかし、曽我茂さんと同じ日に亡くなったこの人のことはあまり知られていません。
2/11東京世田谷。生島うらさん。享年99。拉致の可能性が否定できない特定失踪者「生島孝子さん」の母親です。うらさんの娘「生島孝子さん」は、1972年東京渋谷区で姿を消しました。家出をするような理由は何もありませんでした。特定失踪者問題調査会では「生島孝子さん」を拉致の可能性が濃厚な33人の1人にあげています。
生前、うらさんはこう話していました。(2004年6月)「あの子は心の優しい子でしたけど、だけどすごく優しい半面、しっかりした、ものすごくしっかりした、気の強いところが、芯の強い性格の子だったもんですから、どこかで自立して生きているんじゃないかと、それをそういうふうに信じるようになっちゃって・・・」
(ナレーター)
うらさんは、2人の姉妹と一緒に孝子さんの生存を信じ続けてきました。(姉の馨子さん65・妹の敦子さん60)
その思いが通じたのか、孝子さんによく似た女性を目撃したという人物が現れました。2004年6月 韓国ソウル。韓国人経済学者呉吉男(オ・ギルナム)博士。1985年から1年間、平壌の高級アパートで暮らしていました。彼はそこで会話をした日本人女性が「生島孝子さんに似ていた」と姉の馨子さんに伝えました。
(VTRで呉吉男氏の話)
「この写真とこの写真、この写真は皆繋がります。こういう姿の人を私は一度見たことがあるんです。繋がります。ほぼ80〜90%間違いないです。背も容姿も年齢も・・・。」
(ナレーター)
その翌日。(2004年6月 東京新宿)
(姉・生島馨子さん)
「ただいま」
(母・生島うらさん)
「おかえりなさい」
(ナレーター)
うらさんは、帰国した馨子さんから報告を聞きました。
(姉・生島馨子さん)
「少し良い話があった」
(母・生島うらさん)
「良く頑張ったねぇ。きっと苦労したんだろうねぇ・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「見つかって、こっちに帰って来れるといいね」
(母・生島うらさん)
「ああ、帰れるようになればね・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「105歳まで生きなきゃなんないのかな?」
(母・生島うらさん)
「えっ、あと5年・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「あと5年、頑張れる?」
(母・生島うらさん)
「5年なんて頑張れない、あと1年くらい・・・」(涙がこぼれる)
(ナレーター)
しかし・・・娘との再会を果たせぬまま亡くなった生島うらさん。生きていれば昨日(3/12)100歳を迎えるはずでした。喪主を務めた孝子さんの姉・馨子さん。妹の敦子さんと共に悲しみに耐えていました。(2/11葬儀にて)
身内がほとんどの葬儀。政府関係者の参列はありません。記者の姿も見えず、曽我茂さんの場合とは対照的です。
そんな中、同じ立場の家族が参列していました。1974年に新潟佐渡で姿を消した特定失踪者「大澤孝司さん」の兄茂樹さん(63)です。
(大澤茂樹さん)
「私のことのように思っております。というのは、私の親父も今年で96歳になって、もう先がありませんので、一刻も早く救出を願ってですね、日本政府の方に、1日も早く救出をやってもらいたいと思って、今日駆けつけました。」
(ナレーター)
生前はお花の先生をしていたといううらさん。鮮やかな花に囲まれて送られます。
(姉・生島馨子さん)
「起きなさいー!!」(泣きながらお母さんに声をかけていらっしゃいました・・・)
(ナレーター)
参列者を前に、喪主の馨子さんがあいさつをしました。
(姉・生島馨子さん)
「最近のうらは、娘孝子が帰って来ることを望んで、ニュースにしても話にしても、特定失踪者の話になると頭がとても冴えておりました。皆さまからすると、99歳の天寿を全うしたからよかったろう、ということでしょうが、本人は娘孝子に会えないで逝くのが非常に残念だと思います。」
(ナレーター)
娘が北朝鮮に拉致されたと信じ、会えないまま亡くなった生島うらさん。拉致被害者や特定失踪者の家族の高齢化が進んでいます。
*特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628
(中略)
(荒木和博さん)
「えー、今度のポスター、これで5代目のポスターになるんですが、『拉致被害者・特定失踪者ポスター』というふうにいたしまして・・・」
(ナレーター)
特定失踪者問題調査会が新たに作ったポスター。政府が認定している拉致被害者も初めて加えました。その理由は・・・。
(荒木和博さん)
「政府が認定しようが認定しまいが、拉致被害者は拉致被害者ですから。この中に入っている写真以外の方だって当然いるわけで、それを助けるというのは、その拉致をされている人を助けるということで、政府に認定されたから助けるのではない、ということをですね、やはり1人でも多くの方に理解していただきたいと。」
(ナレーター)
こう話す荒木代表。これまでに集めた情報から「まだ明らかになっていない拉致被害者が大勢いる」という確信を抱いています。
(荒木和博さん)
「どう少なくみても『100人以上はやられているだろう』と。おそらくは、それよりはるかに多くの数の人が向こう(北朝鮮)へ、自分の意思に反して連れて行かれたか、あるいは騙されて向こう(北朝鮮)に入って出られなくなったと。ともかく今やはり国民の前に、拉致被害者というのがこんな数ではないんだ、ということをわかってもらうためには、やはり政府が責任を持って、その認定をしていくということが絶対に必要だと思います。」
(ナレーター)
特定失踪者問題調査会では、拉致問題を調べるために「政府が専門の機関を設けるべきだ」と主張しています。何故なら、遥か昔の失踪に関する情報が、今になって寄せられることもあるからです。例えばこんなふうに・・・。
(姉・生島馨子さん)
「テレビを見た方が、調査会にお電話をくださったようですね。」
(ナレーター)
1972年、東京渋谷で失踪した「生島孝子さん」。私たちはその姉・馨子さんを今月(3月)7日に訪ねました。99歳の母・うらさんが亡くなってちょうど1ヶ月のこの日、馨子さんは妹に関する新たな情報があったことを明らかにしました。
(姉・生島馨子さん)
「テレビを見た方が、調査会にお電話をくださったようですね。その当時、何か『怪しい車を見かけた』という方がいらしたようですね。普段そこにいる車ではなかったようなお話でしたけど。」
(取材者)
「それは孝子さんの職場の周りで、ということですか?」
(姉・生島馨子さん)
「いえ、あの(住んでいた)アパートの近くのようですね。」
(ナレーター)
新たな情報が寄せられたのは、うらさんが亡くなる2日前のこと。うらさんは「その情報提供者に会いたい」と話していました。馨子さんはうらさんのこんな姿がまぶたに焼き付いているといいます。
(姉・生島馨子さん)
「特定失踪者問題調査会の大きい(ポスター)写真ね、あれを自分の『車イスで見える低い所に貼ってくれ』って言うわけですよね。毎日そこを通りますからね。時々こうやって自分で車イスでずずっと寄ってって、こうして色んな人の(写真)見てるんですよね。『こんなにいるんだねぇ・・・』何て言いながら。だから単純に自分の娘がいなくなった、拉致されたっていうだけじゃなくて、やっぱり『こんなに大勢いるんだ』って心配していたから、問題の大きさも少しは感じてたんじゃないかなと思いますよね。」
(ナレーター)
拉致と向き合い続けた99歳の母。家族の願いがかなう日はいつ来るのでしょうか?
(司会者)
突然いなくなってしまった子どもに「何とか生きて会いたい」、そんな気持ちを支えに30年余りも待ち続けてきたお父さんやお母さんたち。
生島うらさんは残念ながら100歳を目前に亡くなってしまわれましたが、うらさんの出棺の直前、家族はうらさんの髪の毛を切って取っておいたそうです。将来、孝子さんらしき人が見つかった時に、DNA鑑定ができるように、ということなんだそうですが、家族の皆さんはこうして亡くなっていく親たちのものを大切に保存しながら、いつかその無念の思いを晴らそうとしています。特定失踪者の家族にとっては「政府に拉致認定してもらえない」という事実も、その無念の気持ちを強くさせています。
今回「古川了子さん」の家族は、やむにやまれず国を相手に訴訟に踏み切ったわけですが、今後はこうした提訴のケースもさらに出てくるのかもしれません。
*特定失踪者問題調査会
http://www.chosa-kai.jp/
*拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト
http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
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