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 拉致事件 : きっと会える 大沢孝司さん証言編
        投稿者 trycomp 投稿日時 2004-6-2 5:40:51 (2444 ヒット)
新潟日報連載

きっと会える
<大沢さん(県内関係未認定者)証言編>

「不明の弟 北朝鮮に」証拠なし 揺れる家族

突然の情報
 「佐渡で行方不明になった人がいて、(当時現場に)ハングルで善かれたマッチが落ちていたという話を聞いた。弟さんは北朝鮮に拉致されたんじゃないか」
一九九八年、西蒲巻町の大沢昭一さん(六八)の家の電話が鳴った。県職員だった弟の孝司さん=当時(二七)=が旧佐渡新穂村で消息を絶って二十四年。孝司さんに関する情報が突然、横田めぐみさんの救出活動をする「新潟救う会」の小島晴則会長からもたらされた。新潟市内の主婦から話を聞いた小島会長が大沢家を探し、連絡してきたのだった。
 聞き慣れない「北朝鮮」「拉致」。行方不明になって以来、自殺だと考え、思い出を胸にしまい込んでいた家族は心を揺さぶられたが、救出活動の誘いをきっぱり断った。
 「証拠もないのに、そんなふうに言われても困る」
  □  ■  □
 七四年二月二十四日午後五時すぎ、県佐渡農地事務所(当時)の技師だった孝司さんは近くの焼き肉屋を一人で訪れ、同七時ころ店を出た。寮への帰宅途中、知人宅に寄った。寮まで約二百?。。足取りはそこでプツリと消えた。
 同日夜、巻町の実家では孝司さんの結婚相手を探す話が話題に上った。東京農大を卒業し、県職員五年目。佐渡勤務を終えた後、新居を建てるため実家近くに土地も買っていた。まさかこの夜、姿を消すとは思いもしなかった。
 二十六日朝、実家に農地事務所から「無断欠勤」の連絡が入った。昭一さんは佐渡に駆け付けた。佐渡汽船の乗船名簿を調べたが、島から出た記録はない。寮の部屋は驚くはどきれいに整頓されていた。昭一さんは「嫁(探し)のことで悩んでいたのか」と考えた。
 行方不明から約二週間、警察や消防、同僚ら大規模な捜索を行ったが、行方は分からない。家族は「自殺か」と考えたが、末っ子の孝司さんの帰省をいつも心待ちにしていた母房さん=故人=だけは否定した。「遺書も書かないような、無責任な男じゃない」
 明治生まれの気丈な母だったが、一度だけ山で声を上げて泣いていたという。「その日は泣くつもりで行ったんじゃないか」。昭山さんは決して弱音を吐かなかった母の心を察した。
 何の手がかりもないまま時間だけが過ぎていった。父福一郎さん(九四)は語る。「泣きたくても、涙を流す材料がなかった」
  □  ■  □
 小島会長の電話から二年後の二〇〇〇年三月、今度は思いがけない展開で「拉致」の情報が駆け巡った。小島会長が横田さんらに関する捜査要請のため県警を訪れ、同時に大沢さんについても申し入れた。県警は「拉致ではないか」という情報をつかみ、既に調べを始めたと明かした。マスコミは大沢さんの失踪事件を一斉に報じた。
 「北朝鮮なのか」。昭一さんにも「もしかしたら」という思いはあったが、このときも小島会長に断った。「証拠もないのに北朝鮮のせいにできない」。まして、冬の日本海を越えて北朝鮮に連れていけるねけがない。家族は動かなかった。
 救出活動を始めるのは〇二年九月、日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認めてからだった。
    ◇
 〇二年十月の拉致被害者五人の帰国後、行方不明者の家族が各地で「拉致ではないか」と声を上げた。それから一年半、真相は依然闇の中だ。「拉致かどうかは分からないが、会いたい」。今シリーズでは大沢さんを皮切りに、不安と焦りを募らせながら拉致問題の行方を見守り、「いつか、きっと会える」と信じて待つ県内関係未認定者家族たちの思いを描く。

兄弟で二人三脚
 二〇〇二年九月二十日。佐渡で行方不明になった大沢孝司さんのいとこ浅野南さん(五五)=西蒲巻町=が、新聞の号外を手に孝司さんの兄昭一さん(六八)の会社に勇んで飛び込んできた。
 「これ見てくれ。孝司の名前も出てるよ」。号外は、日朝首脳会談で北朝鮮側が明かした五人目の生存者は旧佐渡真野町の曽我ひとみさんと報じ、最後に大沢さんにも触れていた。
 政府に招致認定されていなかった曽我さんの生存、同じ佐渡からの拉致−。
 自殺だと思い続けてきた昭一さんだが、直感的に「拉致」と確信。心の奥底に眠っていた弟への思いが一気に呼び起こされた。
 その日の夕食。昭一さんは救出活動に取り組みたいと家族に伝えた。
 「もし孝司が生きて現れにとき、『どうしておれだけ捜してくれなかったのかと言うかもしれない。やれるだけやろう」
 だが、父福一郎さん(九四)は反対した。
 「もう、掘り返すことはしたくない」
 昭一さんは父の本音に気づいていた。孝司さんの失踪の真相を知りたい思いはあっても、親としては何より昭一さんへの負担を心配していたのだ。
 長男の固い決意に、ついに父親は折れた。「やってくれるか」。横浜市の二男茂樹さん(六三)も電話で「分かった」と承諾。弟の救出に向けて、兄弟の二人三脚が始まった。
 昭一さんは「新潟救う会」の小島晴則会長に電話をかけた。「やっぱり拉致じゃないかと思います」
 二十四日、小島会長と県警に再調査を要請し、県庁で会見。大勢の記者に囲まれた。「一度入った渦。もまれるしかない」。昭一さんは腹をくくった。
 


 「飲んだし食ったし、帰って寝るか」。〇三年九月、昭一さんと茂樹さんは旧佐渡新穂村の孝司さん失踪現場を再び訪れた。
 直前に食事をした焼き肉屋の主人荒井とめさん(七二)が、孝司さんが帰り際に残した言葉を証言。聞き慣れた口癖に、二人の脳裏には弟の姿が浮かび上がった。
 「自殺する前に言う言葉じゃない」。拉致への迷いは確信へと変わった。
 拉致被害者五人の家族の帰国に向けた日朝協議が進んでいるが、大沢さんら未認定者の家族には政府の「認定」という高いハードルが立ちはだかる。帰国が実現すれば、未認定者の問題が取り残されたまま幕引きされるのではないか。未認定者の苦悩は多い。
 茂樹さんは訴える。「黙っていれば何も動かない。北朝鮮との交渉のテーブルで名前を出してもらえるよう、早く政府に認定してもらいたい」
   □  ■  □
 孝司さんは大学時代、横浜市の茂樹さん宅で暮らした。卒業後に何度か増築やリフォームを行ったが、孝司さんがいた二階の六畳和室だけは当時のまま残されている。
 「今でも『やあっ』って言って出てくるんじゃないかと思って」。茂樹さんの妻チヅ子さん(六三)は今も家の鍵を掛けずに帰りを待っている。
 行方不明当時二七歳だった孝司さんも、今は五七歳。蓮池薫さん(四六)や曽我ひとみさん(四四)より一回り年上だ。長男として冷静に現実を見つめる昭一さんは、複雑な思いを抱えている。
 「北朝鮮で生きていたら、向こうの人と結婚して子どもがいて、孫もいるだろう。蓮池さんたちのように家族で帰国とはならないかもしれない」
 
一家支える友
 「よおっ」。中学時代の少し甲高い、懐かしい大沢孝司さんの声が聞こえた。二〇〇二年十一月二日夜、孝司さんの中学時代の同級生石沢栄子さん(五七)=西蒲巻町=は夢を見た。兄昭一さん(六八)らが立ち上がり、弥彦神社で署名活動をスタートさせる前日のことだ。
 署名の日、石沢さんは知人と山に行く予定があった。「天気が悪くて登山に行けなくなったら署名に参加するから」。石沢さんは友人にこう伝えていた。そんなとき、大沢さんが夢に現れた。
 にこにこした表情、変わらない髪形。石沢さんは「元気でいるのね」と思い、目が覚めた。外は雨。弥彦神社に出掛け、友人に夢の話を伝えた。「彼は今でも元気にいる」。石沢さんはこの夢を大沢さんからのメッセージだと受け止めている。
   □  ■  □
 〇三年九月、特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)が大沢さんを「拉致の可能性が濃厚な失踪者」リストに加え、十月には県警が拉致濃厚との見解を示した。これを機に、同級生らが中心となって「大沢孝司さんと再会を果たす会」を設立した。
 それまで別々に活動していた中学、高校の同級生、大沢さんの仕事仲間が「一つになって大沢さん家族を支えよう」と声を掛け合い集まった。
 そして三月十四日、大沢さんの地元巻町で拉致問題の集会を開催。約千五百人もの人が詰めかけ、会場は熱気に包まれた。
 「再会」という会の名。当初は「救出」とする案もあったが、川村保副会長は「地域全体で帰りを待っているよ」との思いから「再会」にこだわった。活動する同級生らは、「よおっ」と言って孝司さんが同級会に現れる日を待っている。
   □  ■  □
大沢さんが佐渡で消息を絶って今年で三十年。家族、同級生らが立ち上がったものの、大沢さんに関する北朝鮮での目撃証言や拉致につながる手がかりはない。佐渡市の曽我ひとみさん(四四)が帰国して一年半、同じ佐渡からいなくなったという事実だけが横たわる。
 「証言も何もなく、見通しが立たない。いつまで続くのか・・・」。会のメンバーには活動の長期化を不安視する人もいる。川村副会長は「正直、われわれは今、署名活動しかできることはない。未認定だけに歯がゆい思いもある。無力感に襲われないよう、常に動いているしかない」と語る。
 だが、大沢さんを知る同級生や県農地事務所の元同僚は「(孝司さんは)元気に生きている気がする」と口をそろえる。
 「自分の考えを持ち、ひょうひょうと生きていた」「決してノーと言わず、我慢強く相手の話を聞いていた」という若き日の大沢さんの姿が、友人たちに「北朝鮮での生存」を信じる勇気を与えている。
 孝司さんの写真が飾られた巻町の実家。三十年間、孝司さんの帰りを待っている父福一郎さん(九四)は末っ子の身を案じながら、北朝鮮関係の記事が載った新聞や雑誌にくまなく目を通す日々を送る。
 「父が元気なうちに孝司を会わせたい」。長男昭一さん、二男茂樹さん(六三)、同級生らの共通の思いだが、時間は無情にも刻々と過ぎていく。
 平岡一郎会長はいう。
 「何とかしてやりたいと思うだけに、もどかしい。だが、われわれは拉致問題から逃げることはできない。この巻で再会できるよう、地道に訴えていくしかない」
 
新潟日報 平成一六年五月十三日〜十五日 連載


 
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