再検証「新潟少女拉致疑惑」


 日本側が朝・日会談再開の前提条件に掲げている「拉致疑惑」の解明。なかでも、朝日放送プロデューサーの石高健次記者が「国家安全企画部」高官から入手した「北の亡命工作員」の話を、「現代コリア」(1996年10月号)に紹介した「新潟少女」の問題は産経新聞、「現代コリア」、「アエラ」などがキャッチボールをしながら日本社会に波及させた。「新潟少女拉致疑惑」とは何か、改めて検証した。(聖)

 

虚構の「安明進証言」

一貫性ない「目撃」の状況/動機は矛盾だらけ

 「新潟少女拉致疑惑」の真相に迫る上でまず、はっきりさせておかなければならないのは、この話を初めて日本で紹介した石高健次記者の一文(「現代コリア」1996年10月号)に登場する「亡命工作員」と安明進は別人であることだ。石高記者の書いた「工作員」の話は安企部の高官から伝え聞いたもので、そのような「工作員」が存在するかどうかも怪しい。そこで登場したのが「亡命工作員」の安明進だ。彼はテレビ朝日の「ザ・スクープ」、産経新聞など多くのメディアに登場し、横田めぐみさん(「新潟少女」)を「拉致」したという「北の教官」から聞いた話をもとにこと細かに証言している。だが、唯一の「証拠」とも言える彼の証言自体、一貫性がなく矛盾に満ちたものだ。

 

「仕方なく」から「積極的」に

 第1に「拉致」の動機である。

 97年2月8日の「ザ・スクープ」(テレビ朝日)、産経新聞97年3月13日付、「文芸春秋」97年5月号に掲載された横田めぐみさんの父、滋氏の手記では一致して、「新潟の海岸で迎えを待っている時に顔を見られた」ので拉致したとなっている。横田滋氏の手記は昨年3月15日、安明進と直接会った時の話に基づいたものだ。だが、横田夫妻に同行した石高記者が昨年11月25日に出版した著書では、安が横田氏の前で「日本へ行った時には日本人を1人でも拉致して帰るというのはいい点数稼ぎでした」と話したと、横田氏の手記にはなかった部分が加わる。 この証言によって、「顔を見られたから仕方なく」という偶然の動機ではなく「積極的に拉致した」という必然的動機にすり変わってしまう。

 横田めぐみさんの行方が新潟市内で途絶えたのは20年以上前の77年11月15日の午後6時35分頃。当日の日没時間を気象庁に問い合わせたところ、新潟県庁付近で午後4時32分だ。場所によって多少の差はあるだろうが、市内の日没時間はほぼ同じと見て間違いないだろう。

 とすると、めぐみさんの行方がわからなくなった時刻は日没から2時間も過ぎている。11月と言えば晩秋、あたりは真っ暗だったはずだ。しかも、彼女が消えたと思われる地点に街灯は1つしかない。よほど近づかなければ相手を見極められないほどの暗さだったはずだ。

 そのような状況下で相手の顔を見極めることができるのか。見られたと判断できるのか。ましてや、安が産経新聞3月27日付などで語っているように、一定の距離を置いて歩いている女性に無線機で交信している姿を見られることなど不可能だ。

 「目撃されたので仕方なく拉致した」という説明には無理があるので、石高記者が「積極的拉致」について書き加えた。つまり、もともと「拉致」などなかったので、その動機に無理があった。そこで、新たな動機を出してきたと言えまいか。

 無線機の話は、安が昨年初に証言を始めた当時にはまったく言及されず、突然飛び出したものだ。ある警察関係者は「元北朝鮮工作員はよほど記憶力のいいやつなんだろうね」(「宝石」1月号)と語ったそうだが、安明進の証言は日が経つにつれ具体性を帯びてくる。まるで脚本に書かれたとおりに台詞を語っているかのようだ。

 

3つの単語でイメージ植え付け

 第2は、横田めぐみさんを目撃した時の状況がコロコロ変わる点だ。

 「ザ・スクープ」、産経新聞97年3月13日付、「文芸春秋」97年5月号によると、安は88年10月、教官の発言から一人の日本人女性が70年代に新潟から「拉致」されたことを知ったことになっている。だが、その時の状況がそれぞれ異なっている。

 @教官が隣の人に耳打ちしているのを聞いた(「ザ・スクープ」) A自分が教官に尋ねると「拉致してきた」と打ち明けた(産経新聞) B隣の人に話しているのが聞こえたので休憩時間に「拉致」した場所を尋ねると「新潟」という答えが返ってきた(「文芸春秋」)――という具合だ。

 これらの証言に出てくる3つの共通した単語―日本人女性、「拉致」、新潟―を通じて、「新潟から拉致された日本人女性」というイメージがインプットされていく仕組みだ。

 さらに今年に入り、安はこれまでとはまったく異なる発言をしている。

 昨年までの証言ではいずれも、祝典で日本人女性を目撃→教官の発言でその女性が「拉致」されたことを知る、の順番だったが、今年の産経新聞3月27日付と3月31日発行の安の著書に掲載された証言では、あらかじめ教官から「拉致女性」の存在を聞かされていた→祝典でその女性を目撃した、と完全に順番が逆になっている。

 

「入院した」いや「いたとは思えない」

 第3は、めぐみさんの入院に関する話だ。

 安は産経新聞記者に対し、めぐみさんは「朝鮮語を勉強したら日本へ帰してやる」と言われて熱心にやったが不可能とわかって精神状態が不安定になり、2度入院したと聞いたという。だが、めぐみさんの両親に対しては「丸々としていたし、周りの人たちと笑いながら話をしていたから病院にいたとは思えない」と語っている。

 同じ人物が、一方では「入院した」と言い、もう一方では「病院にいたとは思えない」と語る。しかも、この発言はそれぞれ昨年3月12日と同15日に行われている。わずか3日間で発言を翻している。

 安明進は安企部の「保護」下にある。その発言内容には安企部の意図が働いていると見るのは当然だ。

 

「安明進の証言」

メディア 「拉致」の動機 情勢の出所とその内容
テレビ朝日系
「ザ・スクープ」
(97/2/8)
2人の「工作員」が横田めぐみに目撃されたので 89年祝典で自分の教官が入ってきた日本人女性8人のうち1人を指し、隣の人間に「俺が70年代に新潟から拉致した」と耳打ちしているのを聞いた
産経新聞
(97/3/13)
特殊任務の帰りに新潟の海岸で迎えを待っているときに顔を見られたので、通報されるかもしれないと思った 88/10/10、祝典の準備会議にいた6〜7人の日本人グループを不審に思い、担任の教官にたずねると「1人の女性は70年代半ば、俺が新潟から拉致した」と打ち明けた
「文芸春秋」
(97/5)
横田滋氏の手記
海岸で迎えの船を待っているときに顔を見られたので通報されるかもしれないと思った 88/10/10、祝典開始前に後ろの教官が隣の人に「あそこにいる子は私が日本から連れてきた」と話しているのが聞こえた。休息時間に学生らが「どこから連れてきたのか」と質すと「新潟」と答えた
「これでもシラを切るのか北朝鮮」
石高健次著、
(97/11/25)
歩いてきた女性を無視して海岸へ行くと脱出を見られるかもしれない。日本人は一人でも「拉致」して帰るのは点数稼ぎ  
産経新聞
(98/3/27)
3人の「工作員」が海岸で小舟を待っていた時、無線機で交信しているのを見られ、突発的にやった 教官から、70年代中頃に新潟から「拉致」した女性がいることを聞いていた。ある時、教官が「あの髪の短い女性が連れてきた女の子だ」と指し示した
「北朝鮮拉致工作員」
安明進著、
(98/3/31)
海岸近くで小型船の到着を待っていたところ、日本人女性が一定の距離を置いて歩いていた。2人が無線機を手にささやいている姿を見られたので不安になった 88/10のある日、指導員から、70年代中頃に新潟から少女を「拉致」したという話を聞いた。88/10/10の祝典で、日本人女性教官の1人を指しながら「私が連れてきた」と語った

[98/06/26]