「新潟少女ら致疑惑」とは何か


 現在、日本国内では朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国と略)による「新潟少女ら致疑惑」がクローズアップされ、外交政策を左右するほどの要素になっている。「ら致疑惑」とは何なのか、事実関係はどうなのか、報じられている内容は事実なのか、共和国と日本の間の「最大の懸案」になりつつあるこの問題を検証してみた。

 

亡命工作員」の証言

 共和国に「ら致」されたと報じられている少女は、横田めぐみさんである。新潟市内の中学一年生だっためぐみさんは、1977年11月15日、クラブ活動を終えて帰宅する途中、姿を消し消息が途絶えた。家族からの要請によって警察は公開手配する一方、1週間にわたって延べ千人を動員して捜索したがまったく手掛かりはなかったという。

 それから19年たった昨年、突如めぐみさんの「共和国ら致疑惑」説が報じられた。火付け役となったのは、朝日放送の石高健次記者で、これまで一貫して反共和国、反朝鮮総聯キャンペーンに血道を上げてきた反共・極右の「現代コリア研究所」が発行する月刊誌、「現代コリア」(96年10月号)に掲載した一文の中でつぎのように明らかにしたのだ。

 「その事実は、94年暮れ、韓国に亡命したひとりの北朝鮮工作員によってもたらされた。

 それによると、日本の海岸からアベックが相次いで拉致される1年か2年前、恐らく76年のことだったという。13歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバトミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった。海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。

 少女は賢い子で、一生懸命勉強した。『朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる』といわれたからだった。そして18になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという」

 この内容を「現代コリア研究所所長」の佐藤勝巳氏が今年1・2月号の同誌に「身元の確認された拉致少女」というタイトルの文章の中で拡大し、石高記者の書いた内容の裏取りをしないまま「…めぐみさんが、北朝鮮に拉致されたことはほぼ間違いない」と断定、それ以降、「現代コリア」と同類のサンケイ新聞、「アエラ」(長谷川煕記者)が掲載。「現代コリア研究所研究部長」、荒木和博氏が「旧民社党の仲間」(佐藤勝巳氏)の西村眞悟衆院議員(新進党)に持ち込み国会でも論議されるなど、激しいキャンペーンを展開していったのだ。

 石高記者の記事を佐藤勝巳氏が拡大し、それを同類の新聞、週刊誌(記者)が取り上げ、さらには「仲間」の国会議員が追及して世論化し、日本の外交政策を左右するまでになった経緯だ。

 つまり「朝日放送の石高健次記者が仕入れたネタに『現代コリア』グループが仕掛けを試みた」ものだ。「産経新聞や『アエラ』で火をつけて、国会質問をさせ、北朝鮮に対するコメ支援を中止させようという戦略」で、「『現代コリア』グループが先走ったケースだ」(月刊誌「噂の真相」、4月号)

 

安企部高官からの又聞き

 ところで彼らの主張する「共和国少女ら致疑惑」の筋書を吟味すると、作文、フィクションであることが一目瞭然である。その理由は、まずこの話の出所、ネタ元が伝聞なのだ。石高記者は「北朝鮮からの亡命者の話」としているが、亡命者に直接、会って聞き確かめたものではない。「韓国の情報機関の複数の高官」から仕入れたものなのだ(「諸君!」4月号での石高記者の発言)。

 情報機関とは、73年8月に白昼、都内のホテルから金大中氏をソウルにら致するなど、「出来ないのは男を女に変えることくらい」とまで言われたあの悪名高い元KCIA=「国家安全企画部」(安企部)である。

 安企部は、共和国を「敵」と定め、その瓦解工作に従事する。だから、その安企部のもたらす共和国情報が敵意に満ち、共和国をおとしめることに目的を置いたねつ造の類いのものであることは常識となっている。それでなくとも「北朝鮮からの亡命者証言」については、日本のCIAと呼ばれている公安調査庁元幹部ですら「彼らは、できるだけ自分を高く売り込もうとするので、しばしば誇張が入ります」と指摘する始末だ(月刊「宝石」96年6月号)。

 その上、彼らは安企部の管理下にある。そんな証言にスクープのごとく飛び付く記者は記者の資格すらない。

 佐藤勝巳氏らは彼らの主張にこうした弱点があることを知っているだけに、今度は別の亡命者に「新潟少女ら致」証言をさせ、証言の数によって真実であるかのように世論を惑わそうとした。この手のプロパガンダの創始者であるナチスドイツの宣伝相、ゲッペルスの手法そのまま、「嘘も百回言えば真実になる」式である。

 それが「安明進」なる人物だ。ところがこの人物、公式の場に顔を出すのは初めてではなかった。「共和国少女ら致疑惑」の火付け役、石高記者は2度、ソウルで「安明進」に会ったという。そして奇妙なことに、「安明進」は2度の石高記者との対話の中で「新潟の少女」の話をまったくしていないのだ。

 また「安明進」は、これ以前に南朝鮮の月刊誌「新東亜」に登場、その内容を日本の「別冊宝島」誌も掲載したが(95年3月号)、その中でも一言も言及していないのである。

 さらに、いずれの中でも「安明進」は、共和国が日本(20人をら致)のみならず世界各国から人間をら致してきていると語り、とくに石高記者のインタビューでは「子供たちもいた」と「証言」しながら「新潟の少女」については何一つ語っていないのである。

 それが今年3月になり、「共和国の新潟少女ら致疑惑」が騒がれるや、突如として「私も平壌でその少女を見た」(サンケイ新聞3月13日付1面トップ)と、滔々(とうとう)としゃべり始めたのだ。

 これは何を物語っているのか。「共和国ら致疑惑」をあたかも真実であるかのように作り上げ、「疑惑」をキャッチボールする中でそれを拡大、再生産するための計画的な手法であったことがわかる。

 

「少女」を知らない「工作員」

 次に、石高記者が「現代コリア」の中で紹介した横田めぐみさんに関する「亡命者」証言と、事実には違う点があることだ。それは、ら致された年が76年で「めぐみさんは双子の妹」(亡命者)だと言っているが、めぐみさんが行方不明になったのは77年で双子でもない。双子の弟がいることから佐藤勝巳氏らは類似点を指摘して、めぐみさんの「共和国ら致」を強弁する。

 しかし、それは論理の飛躍でありごまかしである。食い違ってはいるが、類似点があるから事実だろうという論理がまかり通ってしまえば、何事も正当化できてしまう。これほど乱暴な主張はない。間違いは間違いであって事実ではない。事実だと言うのならそのことをフォローする根拠が当然、求められる。

 またこの亡命者は、少女のら致された海岸がどこなのか知らなかったと言う。なのになぜ新潟だと言えるのか。それは誰が確認したことなのか。さらには亡命者はめぐみさんの顔を知らない。写真でさえ見たこともないのだ。なのになぜ「少女」をめぐみさんだと断定しうるのか。

 このように、確認されたものは何一つもない。だから佐藤勝巳氏などがしきりに流している共和国の「新潟少女ら致疑惑」は作文であり、フィクションなのだ。そうでないというのなら彼らに、そして捜査当局に証拠を提示してほしいものだ。いや、ここまで世論をミスリードしてきたのだから答える義務があろう。

 最後に、佐藤勝巳氏自身が明らかにしている興味深い事実を紹介しよう。前述に紹介した文書の中で佐藤氏はつぎのように書いている。

 「昨年12月14日、新潟市で講演する機会があった。講演後の懇親会の席で、私が『確か新潟海岸で行方不明になった少女がいましたよね』『あぁ、めぐみちゃんです』『彼女、北朝鮮にいるようですよ』近くにいた人たちが一斉に『エッ』と声を上げた」

 一人酔い知れて自慢気に語る表情が思い浮かぶようだが、「ら致疑惑」がまだ世論を騒がせていなかった昨年の12月の時に、何の根拠も挙げる事なくすでに佐藤氏は「北朝鮮」の名前を口にしていたのだ。(なお佐藤氏は、在日朝鮮人の共和国への「600億円送金説」時も最初に口にした人物だが、本人自身明らかにしているように、その時も何らかの根拠があった訳でなく、机の上で適当な数を合わせて作り上げたものだった。その後、自身が発行する「現代コリア」ではその説をしつように展開したが、疑問を持った他のマスコミの取材には底の割れることを恐れてか、逃げ回るかのようにほとんど応じなかったという)

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