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過去六回の私の訪朝経験からすれば、北朝鮮当局は「誰がどこに住んでいるか」を仔細に把握しており、問題の「行方不明者」を探し出すことは困難ではない。というより、当該の日本人の所在は頭初から掌握していると見るべきだ。拉致問題は北の最後の、そして最大の交渉カードであり、日本が先に(北朝鮮の要求する)「過去の清算」に応じない限り、前進はない。

 

拙劣で幼稚な日本外交

 それにしても日本外交は拙劣で、幼稚だ。朝鮮民族の心情と精神構造を理解していない。

 日本政府は、米国、韓国、中国、ロシア、EU(欧州連合)、国連、G8(主要先進国首脳会議)と、ありとあらゆる機会を捉えて拉致問題を取り上げ、疑惑解明のための仲介の労を依頼した。最近では、ウラジオストックで金正日総書記と会談したプーチン・ロシア大統領に仲介を委嘱していた。プーチン氏は「金総書記には十分伝わっている。日朝間で解決すべきこと」として取り合わなかったという。当然である。

 国際世論に訴えて北朝鮮を追い詰め、譲歩を迫る作戦は逆効果だ。北朝鮮の指導者はプライドの固まりである。民衆が飢えに苦しむなかで、民族の誇りを支えに保ちこたえている体制、それが北朝鮮だ。水面下では譲歩しても面子にこだわる。

 過去の米朝交渉でも、クリントン前政権の後期にようやく北の真意を理解し、面子を守ってやりながら辛抱強く交渉してきた。これがペリー・プロセスで、米朝国交正常化実現の一歩手前まで行っていた流れを一挙に覆し、時計の針を元へ戻してしまったのがブッシュ政権、その尻ウマに乗って強気に出ているのが小泉内閣である。

ブッシュ政権は対北政策の全面的見直しを宣言、六カ月の沈黙のあと対話再開を呼びかけたが、核・ミサイル開発の放棄加えて通常軍備削減をも議題に加え、北を封じ込める政策に転じた。今年一月には、イラク、イランとともに北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、大量破壊兵器拡散に対抗して核兵器の先制使用もありうることを示唆している。この舞台暗転に北朝鮮指導部が困惑し、外交戦略の修正を迫られたことは疑いない。

 北朝鮮外交は一貫して対米関係重視にある。核もミサイルも対米駆け引きの交渉カードだ。私が鮮明に記憶しているのは、一九九四年八月、日本中が北朝鮮脅威論で沸騰し、核疑惑に翻弄されていた当時、訪朝した私と関寛治立命館大学教授(故人)に対し、黄長華国際担当書紀(当時。のちソウルに亡命)が語った言葉である。彼は言った。「朝鮮は核(兵器)を保有しておらず、本気で核開発する意思もない。もし核保有、一発でも使おうとすれば、次の瞬間に米軍の空爆でわが国はこの地上から消え去るだろう。われわれはみな米国の恐ろしさを知っている」。

 朝鮮半島の平和と安全を保障できるのは米国しかないのは事実だ。南北を分断している軍事境界線も、休戦協定で北朝鮮が米国と取り決めたものだし、休戦協定の当事者は米朝それに中国で、韓国は当事者ではない。韓国には今も三万六〇〇〇の米軍が駐留し、有事の際は、韓国軍は全軍が米軍司令官の指揮下に入る。韓国は日本以上に当事者能力がなく、外交の自主性を奪われているのである。

八月中旬、再開された南北閣僚会談では、経済・スポーツ・芸術分野の一連の交流計画が決まったが、韓国が最重要視する軍事会談だけは北が頑なに拒否した。当然である。相互の信頼醸成くらいは進むにしても、米国の承認なしの決定権は韓国にはないのだから。

 北が変わったとか変わらないとか、表面だけで判断すべきではなく、すべて対米関係で推論すべきなのだ。ウラジオストックの露朝首脳会談も対米けん制という象徴的意味しかない。ロシアは事実上、米国の同盟国となり、米国の援助なくして自国の核弾頭管理さえ満足にできない状態にある。IMF(国際通貨基金)をはじめ西側諸国に対する負債一五〇〇億ドル以上に達する借金大国である。北朝鮮を支援する余裕などない。

 

「米国が動けば日本は動く」−北朝鮮の判断

 「日本は米国の属国だ。アメリカが動かないと日本は動かない」。これは、私が一九九八年九月、訪朝した際の朝鮮労働党幹部の言葉である。

 日本列島の頭上を越えて、残骸が太平洋沖に落下したテポドン・ミサイル(北朝鮮の当時の発表では人工衛星「光明星」)発射の直後だった。日本中が北に対する恐怖と憎悪で沸き立っていた。衆参両院は北朝鮮非難決議を全会一致で採択し、日本政府は(開かれてもいない)国交正常化交渉の中止を表明、(提供してもいない)食糧支援の中断を決めた。KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)への拠出停止も決めたが、直後に米国の圧力で撤回した。

 このとき党幹部は告白した。「人工衛星発射には米国向けのメッセージがこめられている。日本など眼中にない。日本の領土・領海を侵さないよう最大限配慮した。それなのに、なぜあれほど騒いでいるのだろう」。

 米特使が訪朝し、米朝協議も近く再開される見通しだが、ブッシュ政権はMD(ミサイル防衛網)配備実現まで、東アジアに“脅威”の存在を必要としており、ブッシュ大統領個人の金総書記に対する不信感も根深い。米朝関係が進展する可能性は当面ない。

 そうした中で、「米国が動かなくても日本を動かしてみよう」と判断して拉致解明に応じようとしているのだとすれば、「日本が動く」好機だ。日本はまず「過去の清算」に応じなくてはならない。公式に謝罪し、北朝鮮に一〇〇億ドル以上の「補償金」(対韓国との整合性のために名目は「経済協力資金」でもよい)の支払いを約束しなければならない。その場合、「日本の安全を脅かすもの」として重視していたミサイル問題は棚上げしてもよいのか、これをきちんと国民に説明する必要がある。北にとってミサイルは対米交渉の貴重なカードで、日本と取り引きする意図はないのだから。

  ただし、あくまでも水面下で、相互信頼を前提に、第三者を介さず、二国間交渉で進めることが肝要だ。私の提案は、朝鮮労働党幹部の信任厚い、例えば野中広務のようなベテラン政治家を特使として平壌に派遣することだ。小泉首相よ、関係家族のためにも早急に検討していただきたい。

ここで忘れてならないのは、日朝国交正常化は米朝・南北とは本質的に異なり、過去の加害者と被害者の関係清算という意味があり、旧宗主国の責任が問われているということである。日韓関係だけが未来志向で進展しても朝鮮半島の平和は実現しないし、朝鮮民族に対する「負の遺産」は払拭されないのだ。