国会議員秘書、「現代コリア」、産経、アエラ

 「横田めぐみさんら致騒動」で奇妙なハーモニー

 “起点”は佐藤勝巳氏?月刊「宝石」で野田峯雄氏が指摘


 「少女ら致疑惑事件」。事件の発端は、南朝鮮の国家安全企画部高官から「北朝鮮の元工作員」なるものの証言を入手した朝日放送プロデューサーの石高健次記者が「現代コリア」96年10月号に「北朝鮮の拉致」に関するレポートを掲載したことである。そして産経新聞、現代コリア、アエラが情報のキャッチボールをして日本で波及させた。この問題を一貫して追及してきたジャーナリストの野田峯雄氏は、月刊「宝石」1月号で、「北朝鮮拉致事件の実相に迫る」と題する新潟少女・失踪事件についての詳細なルポ記事を発表した。記事の核心部分を以下に抜粋、紹介する。

 石高健次氏のレポートが現代コリアの96年10月号に出てから約2カ月後の97年2月3日。北朝鮮工作員による横田めぐみさん拉致騒動が始まった。

 同日付産経新聞朝刊と同日発売の週刊誌「アエラ」2月10日号が、いずれも石高レポートを丸ごと使い、驚愕しているめぐみさんの父・横田茂さんのコメント(産経新聞)などを、あるいは母・早紀江さんのコメント(アエラ)などを配し、元北朝鮮工作員の話(石高レポート)=横田めぐみさんの消失=拉致の図式を描いたのだった。…。

 同日午後の国会。衆議院予算委員会で新進党の西村眞悟議員が質問に立った。…。

 西村議員は1月23日付で伊藤宗一郎衆院議長に、たとえば「政府は、横田めぐみ及び李恩恵を含め、我が意に反し、違法手段により北朝鮮に拉致された日本人を把握しているか」といった内容の質問趣意書を提出していた。じつにすばやい動きである。それにしても、産経新聞とアエラと西村議員。2月3日の彼らのハーモニーをどのように理解したらいいのか。

 …。

 たとえば産経新聞やアエラの記者たちはちょっとしたトリックにひっかかってしまったのではないか?

  ソウルの安企部の掌中の元北朝鮮工作員からきわめて具体的なデータ(年齢、クラブ活動、バドミントン、帰宅途中、双子)が飛び出す→調べるとその事実があった(めぐみさん行方不明事件)→安企部(元北朝鮮工作員)の話は本当だ→めぐみさんは北朝鮮へ拉致された。彼らはそんなふうに思ってしまったのではないか?

 しかし、仮に「ソウル」があらかじめ新潟市で発生しためぐみさん行方不明事件関係のデータを入手していたとすれば、彼の話が「事実」なのは当たり前ではないか?…。

 …。

 東京永田町の国会議員会館の一室。共産党の橋本敦参議院議員秘書の兵本達吉氏は言った。「新潟県にいる小島晴則さんが私のところに、めぐみちゃんがいなくなったときの記事(新潟日報)を送ってきてくれました。早速、私は日銀にお父さんの連絡先を問い合わせた。あれやこれやあったけれど、日銀OB会のほうでお父さんに連絡してくれ、お父さんの方からここへ電話があり、1時間もかからないうちにやってきました。めぐみちゃんが平壌にいることがわかって、絶句した」

 −−それはいつのことなのか。

 「今年(97年)の1月22日。いや、21日だったかな(あとで21日と訂正)。その午後、産経新聞の阿部さん(雅美氏、現社会部長)がきた。彼に横田滋さんのことを話すと、彼は『これはおもしろいぞ』といった」

 −−アエラにその情報を伝えたのも兵本さんですか。

 「アエラの長谷川さん(煕氏、同誌2月3日発売号の関係記事をまとめた記者)に話したのは私だったかな……。石高君(前出)じゃないかな。その日(1月21日)、ちょうど横田さんがここにいるとき石高君から電話があった」

 では、1月23日に質問趣意書を提出した新進党の西村眞悟議員のほうは? 取材結果からいえば現代コリア研究所研究部長の肩書きをもつ荒木和博氏(元民社党全国青年部副部長。新潟の小島氏とも親密関係)が資料提供をしたと思われる。整理すれば、産経新聞やアエラとほぼ同時に西村議員が動き、ほどなく衆院予算委員会での質問日程がはっきりとし、産経新聞もアエラもそこに照準を合わせた、とみられなくもない。…。

 …。

 が、その前に押さえておきたいことがある。前述してきた流れの“起点”である。佐藤氏がこんなふうに解説していた。

 「昨年12月14日、新潟市で講演する機会があった(小島氏たちが主宰している「北朝鮮情勢を聞く会」の会合)。講演後の懇談会の席で、私が(石高氏のレポートを踏まえて)『確か新潟海岸で行方不明になった少女がいましたよね』『あぁ、めぐみちゃんです』『彼女、北朝鮮にいるようですよ』近くにいた人たちが一斉に『エッ』と声を上げた」(現代コリア97年1・2月号。カッコ内の注は筆者)

 要するに佐藤氏は「めぐみさん行方不明」と「北朝鮮拉致」を結合させたのは自分だといいたがっているようである。昨年(96年)12月14日の新潟での彼らの懇親会について少し補足しておく。同会の参加者は70〜80人。そのなかに新潟県警の公安担当者が何人かいた。佐藤氏はわざわざそのテーブルへいきめぐみさんの1件を持ち出したという。

 「めぐみさん」は彼らの主義主張(いわば反北朝鮮過激派)の悲惨なマチエールと化してしまった感がしないでもない。

「97/12/24」