この人と語る

朝鮮半島を和解と統一に導く
指導者の構想力と決断

国際政治学者
坂本義和さん


日朝交渉で謝罪と賠償実行すべき

 ――二十世紀最後の年に、朝鮮半島では、南北首脳会談が開かれました。
 ●南北首脳会談は、朝鮮半島の緊張緩和と和解、統一をめざす歴史的転換点となった。金正日総書記と金大中大統領は、どちらも全責任を負って、非常な勇気をもって、会談に臨み、それぞれのリスクを引き受けて、重要な決断を下した。会談の成功は、和解と統一を指向する指導者の構想力と決断に立脚した政治的イニシアチブによってもたらされたと思う。

 北朝鮮について言えば、軍事境界線の向こう側に展開する巨大な米軍と対峙している厳しい状況がある。その中で、金正日総書記は軍事的緊張の緩和と経済重視を選択した。これは容易な決断ではなかったと思う。

 私は一九八七年に招待されて、妻と一緒に訪朝したことがある。板門店に行った時、私たちをパチパチ写真に撮る体の大きい二人の米兵が正面にいた。その後に「韓国」軍の衛兵が立っていた。

 この現場を見て強く実感したのは、軍事境界線の向こうにいるのは「韓国」軍よりも米軍だ、ということだった。北朝鮮の側から見ると、圧倒的な戦力を持つ米軍が正面にいるという感覚だろう。当時は戦術核を持って駐留する巨大な米軍がおり、その後方には日本とその米軍基地があり、背後に米国本土がある。冷戦時代の米軍との対峙が、いかに生々しいか、北朝鮮の厳しい状況を実感した。

 これは北朝鮮の安全保障の点で重い問題であることが分かったし、北朝鮮がまず軍事優先を貫いた理由が、理解できる気がした。

 一方、「韓国」内部においても、冷戦的思考は根強い。北への食糧・肥料支援などについても、「一方的な譲歩は相手を利するだけ」といった強い反感と警戒心があった。それを大統領の「同胞が二度と戦うことのないために、助け合い、相互不信を少しでも除いていかなければならない」という決断によって、支援を続けてきた。

 さらに米国も「ペリー・プロセス」によって、北朝鮮を「ならずもの国家」と敵視し、崩壊させようとする政策ではなく、北を交渉の当事国と認め、関係改善の方向へと舵を切った。米議会のタカ派の存在、また共和党大統領の出現によって、揺り戻しがあるかも知れない。しかし、南北の当事者の合意を米国はもはや壊すことはできないだろう。中国、ロシアも協力的だった。南北首脳が自分たちの問題は自分たちで解決していく姿勢をはっきり示されたことは、見事だと思う。

 ――朝鮮半島の緊張緩和の動きに、日本は取り残されている気がします。
 ●残念だが、日本にはリスクを冒して緊張緩和のために、政策を転換していこうとする勇気あるリーダーシップがない。むしろ冷戦を固定化するようなことをしている。これを変えなければ、日本のためもにならない。

 戦後の日本は、植民地支配と侵略戦争に対する責任を終始、曖昧にしてきた。さらに、近年自虐史観批判なる居直りの主張まで出てきた。人間の誇りとは、誤りを犯したらそれを謝罪し、改めることで生まれる。ところが彼らは「謝罪することは、誇りを失うこと」という考え方。ではなぜ、謝罪を恥だと考えるのか。その根底には、民族や民族主義が持つ意味が、日本と朝鮮とで基本的に違うという歴史的な理由がある。つまり、朝鮮の場合は民族主義は、大国の支配からの解放の思想であり行動である。日本の場合は大国支配を支えるものが民族主義であり、日本の国家主義だった。日本の民族主義者は、そのほとんどが帝国主義者に近い性格を持っていた。だから侵略し、支配をしたことを誤りだと認めて謝罪する発想が、非常に弱い。

 過去の「日韓条約」の交渉でも、日本側の謝罪や賠償はなかった。しかし、それを日朝交渉で繰り返してはならない。北朝鮮に対して、歴史的責任を認め、謝罪と賠償・補償の問題に誠実に取り組むことから始めなければならない。日本政府は「拉致疑惑」から始める姿勢をとってきたが、北朝鮮としては、植民地支配下において、元「従軍慰安婦」や強制連行労働者として「拉致」された数万、数十万の犠牲者への謝罪と補償なしに、「拉致疑惑」を交渉の場に持ち出そうとする日本の立場を受け入れないのは当然であろう。

 「拉致疑惑」問題は、今や日本では完全に特定の政治勢力に利用されている。先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、まず、この事件の解決が先決で、それまでは食糧支援をすべきでないと申し入れた。これには私は怒りを覚えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということなのだ。

 ――東アジアの平和と発展のために日本は何をすべきでしょうか。
 ●朝鮮半島は、大国の権力政治の犠牲になってきた。周辺の国はみんな権力政治の担い手だった。これを変えなければいけない。その時に、強い者が力で支配するのは間違っている、と主張する資格があるのは朝鮮民族だと思う。中、ロ、日など周辺国に働きかけて、東アジアに権力政治を超えた協力関係を築こうと言う資格がある。是非、朝鮮半島が主体となって、この地域の将来のビジョンや構想を出していく軸になっていただきたい。そのためにも、日本は、冷戦思考の惰性から脱却して、北朝鮮に対して平和な環境を構築して安全を保障するという、政治的な構想力を持つべきだ。

 今、求められているのは、「神の国」という愚かな発想ではなく、日本の中で、在日朝鮮人、外国人労働者など、異なる文化を持つ多様な民族の人たちと、いかに平等・対等に共生していくかという課題に、真剣に取り組むことだ。国内で多民族、多文化の共生を実現することが、東アジア地域で多民族の国際的共存を強めていく基礎となるのだ。

【素顔にふれて】

21世紀は多民族国家の共存を

 高名な国際政治学者。特に、平和研究の理論・実証研究において、国際的に高い評価を得ている。そして、1人の市民として、朝鮮問題に60年代頃から、深く関わり、行動してきた。

 米国で生まれ、小学3年まで上海で育つ。帰国後、旧制高校2年で敗戦を迎えた。上海では日本軍の支配の非道さを目撃し、多感な青年期に敗戦による価値観の転倒を体験した。「戦争と平和を考える学問の出発点に、その体験があります」。

 研究室にこもる学者ではない。90年代半ばには元「従軍慰安婦」への国家補償を求めて、村山、橋本両首相に直接申し入れた。市民の人権を実現するために献身してきた真しな歩み。それが、反核や、国際社会の非軍事化を軸にした理論の体系化を生み出す原動力にもなった。

 国際政治の諸問題に通暁し、メディアや世論に強いインパクトを与え続けた坂本さんだが、今回の南北首脳会談をひときわ高く評価する。
 「南北の指導者の全責任を負った決断によって生まれた壮挙。本当にうれしいことだった」。この東アジアの新しい事態を日本がどう受け入れていくか。「日本は政治的な構想力と決断力が貧しい」と批判する。

 「日本は天下の形勢が変わるとそれに遅れないで乗っていくという生き方をしてきた。ヒトラーが景気がいい時勢には、そこにつき、戦後、米国が強いとなれば米国にくっついていく。大勢順応主義が明治以来の伝統。現在の東アジアの緊張緩和の流れに、早晩日本も乗っていくことになるのでしょう」

 21世紀の世界秩序は、「多民族国家」の原理に立つべきだと提唱する。(朴日粉記者)

【プロフィール】
 さかもと・よしかず 1927年、米国ロサンゼルス市生まれ。東大法学部卒。東大教授を経て明治学院大学教授、国際基督教大学教授などを歴任。東大名誉教授。72〜74年国連研修所(UNITAR)特別研究員、79〜83年国際平和研究学会(IPRA)代表。著書に「相対化の時代」「核時代の国際政治」「軍縮の政治学」など、英文著作を含めて著書多数。

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